バプテスマのヨハネの信仰の揺らぎ【感想・備忘録】30日でわかる聖書 マタイの福音書(11)
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今回のメッセージはここで聞けます(2007年12月17日)→
©️ハーベスト・タイム・ミニストリーズ
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ここまでの文脈
ここで、バプテスマのヨハネが登場し、それを機会に2つのテーマについてイエスは論じる。1つはリーダーはいかにあるべきか、もう1つはどういう人が救われるかとうことである。
今回の聖書箇所を要約すると
感想・気づき
マケラスの砦に幽閉され、獄中にあったバプテスマのヨハネは、イエスの活動について弟子たちから様々なことを聞いていたが、自身が理解していたメシア像と大きく違うので、不安を抱いていた。
イエスの宣教活動は、成功しているとは言い難く、ユダヤ人の指導者たちからも拒否されていた。また、ヨハネの理解(及び当時のユダヤ人の一般的理解)では、メシアが現れたらただちにメシア的王国が建てられ、メシアが宗教的にも政治的にもユダヤ人の王となるはずだった。しかし、イエスが活動を始めているのに、その気配はないし、ヨハネ自身も獄中に捕われたままである。
こういった事情からヨハネは不安を感じ、弟子を通じてイエスに「おいでになるはずの方はあなたですか(創11:3)」と質問を送ったのだ。
ヨハネの不安の原因は、旧約聖書で預言されているメシアの来臨は2度あることを理解していないことにある。これは12使徒達も全員理解していないことだった。使徒たちだけでなく、当時のユダヤ人は誰一人として理解していなかったのであろう。
今の時代は、新約聖書があるので、メシアの初臨と再臨とについて明確に理解することができるが、旧約聖書においてはメシアの来臨について初臨と再臨とが一緒くたに預言されているので、当時のユダヤ人達にはそのことが理解できなかったのだ。
ヨハネの不安に対して、イエスは私の行っていること、見聞きしたことをヨハネに伝えなさいとヨハネの弟子たちに答えている。ここでイエスは、イザヤ書35:5〜6、61:1を踏まえて、イエスがメシア的奇跡を行っていることをヨハネに伝えようとしている。
バプテスマのヨハネは、イエスが「女から生まれたものの中で」最も偉大な者と評価されている。これは旧約聖書の聖徒の中で最高の人物という意味だが、そのヨハネですらも、イエスに対する信仰に揺らぎが生じた。現代を生きるクリスチャンにとっても、真剣に信仰を持つほど、神に対する疑心暗鬼や自身の信仰に対する疑問が湧いてくるものだ。ヨハネの不安に対して、イエスは怒ったりせずに寛容に答えている。この場面は新約時代のクリスチャンにとっても大いに適用できる内容だろう。
ヨハネの質問への回答に続いて、イエスは良いリーダーと悪いリーダーについて弟子たちに教えている。
ここで、「バプテスマのヨハネの日から今に至るまで、天の御国は激しく攻められています(創11:11)」と表現されているが、ここで「激しく攻めている」のは、主にパリサイ人とサドカイ人のことだ。彼らが旧約聖書に預言されていたメシアと、メシア的王国を拒否し、人々から天の御国を奪い取っていると比喩的に説明しているのだ。
また、「笛を吹いてあげたのに君たちは踊らなかった。弔いの歌を歌ってあげたのに胸を叩いて悲しまなかった(創11:17)」と言っているのは、ここでも笛を吹いて歌を歌っているのは、パリサイ人とサドカイ人のことである。彼らがヨハネやイエスを自分たちの思うように操ろうとしたが、うまくいかなかったので彼らを拒否したことを表現している。「この時代」とあるのは、「メシアであるイエスを拒否する時代」という含意があるのだろう。