「奥義としての王国」が「メシア的王国」に取って代わる【感想・備忘録】30日でわかる聖書 マタイの福音書(13)
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今回のメッセージはここで聞けます(2008年1月7日)→
©️ハーベスト・タイム・ミニストリーズ
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ここまでの文脈
パリサイ人たちは、イエスの行っているメシア的奇跡を、悪魔の力によるものだとして拒否した。その結果、ユダヤ人は民族として「赦されない罪」を犯した。
このことにより、この時代のユダヤ人からは、イエスやバプテスマのヨハネがそれまでに伝道していた「メシア的王国」は取り上げられた。そして、以後は旧約聖書には預言されていなかった「奥義としての王国」が始まる。「奥義」とは隠されていたが、明らかにされたものという。
イエスはたとえ話を通じて、この「奥義としての王国」の特徴を説明する。
今回の聖書箇所を要約すると
- イエスは「奥義としての王国」の特徴をたとえ話を通じて説明する。
- この特徴を理解した者は、神の国の弟子とされる。
- 「奥義としての王国」には新しい特徴・真理があるが、旧約聖書に記されている昔からの特徴や真理もまた適用される。
感想・気づき
9種類のたとえ話があるが、一番目の「種まきのたとえ」が最も基本になるたとえ話。「奥義としての王国」の時代も、福音の種は継続して巻かれるが、福音に対して種々の敵対する力が働く。この世の思想、悪魔などである。
福音を語るとそれにたいして様々な反応がある。全くの不信仰、福音を喜んで聞いて信じるが理解が浅く信仰が育たない人、福音を聞くが学んだ真理を現実生活に適用できない人、福音を聞いて悟り良い実を結ぶ人。人によって反応は様々だが、福音を語りその種をまき続ける必要がある。
「毒麦のたとえ」は教会内にも、それ以外の世界でも、良い麦と毒麦とが共に育っていくが、見分けが付かないというたとえ話。しかし、最後には本物と偽物とは区別され、毒麦は焼かれることになるので、悪人が栄えてもうらやましく思う必要はない。
また、「からし種のたとえ」では、キリスト教界は世界的な広がりを見せるが、その中に悪魔の影響が留まることを言っている。具体的にはキリスト教の異端やカルトの存在のことを指している。エホバの証人やモルモン教、統一教会などが代表的だろう。
そして、「パン種のたとえ」ではカトリック、東方正教会、プロテスタントの中にも誤った教理が含まれていることを説明している。
「畑に隠された宝」はイスラエルの残れる者を指している。「宝」とはイエスラエルのことで、出エジプト19:5、申命記14:2、詩篇135:4を念頭にたとえに使われている。「海の真珠」は福音によって救われる異邦人のことだ。「真珠」については旧約聖書では言及はないが、「海」は呪われた異邦人の世界を象徴しているので、そこからたとえの意味を推測できる。そして、「畑を買う人」も「真珠を買う商人」もともに全てを犠牲にして救いを人類にもたらした主イエス・キリストの姿を指している。