イエスの宣教ポリシーの変更【感想・備忘録】30日でわかる聖書 マタイの福音書(12)

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 今回のメッセージはここで聞けます(2007年12月24日)→

©️ハーベスト・タイム・ミニストリーズ
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ここまでの文脈

 イエスは公生涯を始められ、ユダヤ人達に神の国の福音を伝道している。訓練ができた弟子を12使徒として派遣し、伝道は次第に広がっていった。

 今回はイエスの伝道活動のピークとそこからの宣教ポリシーの変更を見ていく。

今回の聖書箇所を要約すると

  • エスはパリサイ人と安息日に関する口伝律法について論争し、イエスはメシア的奇跡を悪霊の力で行っていると言った。
  • これによりパリサイ人はユダヤ民族の代表として「赦されない罪」を犯し、イエスはこれ以後はメシアのしるしを求めても「ヨナのしるし(=復活)」しか与えられないと宣言する。
  • これ以後、イエスは宣教ポリシーを変更し、大衆伝道から弟子の訓練を中心に活動を続ける。

感想・気づき

 パリサイ人は安息日に畑の麦の穂を食べるイエスの弟子たちを律法違反だと糾弾する。この段階では、サンヘドリンのメシア運動の評価は「観察」の段階から「審問」の段階に変わっていたので、パリサイ人達は何かあるごとにイエスを糾弾するようになる。空腹になった時に、他人の畑の作物を食べることはモーセの律法で許されているので、これは罪ではない。パリサイ人が問題にしているのは、安息日に労働をした、という点だ。

 安息日にはモーセの律法によれば一切の労働をしてはいけない。パリサイ派の口伝律法によれば、麦の穂を摘むことは「収穫」、麦の穂から中身を出すことは「脱穀」、籾殻を捨てることは「ふるい分け」、それを食べて胃袋に入れることは「貯蔵」にあたり、4種類の「労働」をしているという判断になるのだ。

 これに対してイエスは第1サムエル記を引用して反論する。ここでもイエスモーセの律法は遵守しているが、口伝律法については徹底的に批判している。

 また、旅人が空腹になった時は他人の畑の作物を取って食べることはモーセの律法で許されているが、これは現代のイスラエルでも法的に許されているらしい。モーセの律法が現代でも生きていることの一つの証拠としてとても面白いと思った。

 

 その後、イエスは口の聞けない人から悪霊を追い出した。これは当時のパリサイ派の教えでは、メシアにしかできない「メシア的奇跡」とされていた。だから、それを見ていた民衆はイエスのことをメシアとして信じ始めた。しかし、パリサイ人たちは、パリサイ派の口伝律法を守らないイエスをメシアと認めたくないので、イエスの奇跡は「悪霊のかしらベルゼブル」つかれているからだという詭弁を弄する。

 実はこれがユダヤ人たちがイエスを拒否する公式の理由となり今日に至っている。タルムードにもイエスは魔術を使って人々を惑わせたと記録されている。面白いことに、イエスが奇跡を行ったことはタルムードは否定していない。これは実際に多くの人々がイエスの奇跡を目撃していたので、そのことまで否定することは当時のパリサイ人達もできなかったということだろう。

 これは「赦されない罪」とイエスは呼んだが、十字架の前のこの時点でユダヤ人は民族としてイエスを拒否したと判断されたのだ。イエスの伝えていた「神の御国」は一時的にユダヤ人から取り上げられることになる。

 

 ここに、パリサイ人によるイエスの拒否は決定的となり、イエスはこれ以後宣教ポリシーを変更する。民衆に広く伝道することを止め、弟子たち(特に12使徒)の訓練に注力するようになる。民衆の前で公に奇跡を行うことを止め、私的な奇跡しかしなくなる。しかも、それまでの公の奇跡は相手の信仰の有無は問わなかったが、私的な奇跡を行う際は必ずのイエスに対する信仰を問うようになる。また、奇跡によって病を癒やすなどした場合も、周囲に言い広めることを戒め、沈黙を要求するようになる。そして、明瞭な教えから、たとえ話を用いた教えへと変化する。