【感想・備忘録】創世記(38)—エサウとヤコブの誕生—

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 今回のメッセージはここで聞けます(2009年3月30日)→

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ここまでの文脈

 創世記は11のトルドットに区分される。

 第6のトルドットは創世記11:27〜25:11で、「テラの歴史」。これは「テラのトルドット」ということで、「テラの子孫がどうなったか」という意味になるので、具体的にはアブラハムとイサク、イシュマエルを描いている。

 第7のトルドットは創世記25:12〜18で、「イシュマエルの歴史」。メシアの家系から外れるイシュマエルの子孫たちについて短くまとめている。

 そして、第8のトルドットは創世記25:19〜35:29で、「イサクの歴史」。これはイサクの双子の子どもであるエサウヤコブが主人公である。

今回の聖書箇所を要約すると

  • イサクの妻・リベカは双子を妊娠中に神から預言を受け、双子がそれぞれ別の国民になることと、兄が弟に仕えるようになることを知る。
  • 双子の兄・エサウは巧みな狩人、「野の人」となり、弟・ヤコブは「天幕に住ん」で、羊飼いとなった。
  • ある時、猟で疲れ空腹を覚えたエサウは、豆の煮物と引き換えに長子の権利をヤコブに売ってしまう。

感想・備忘録

 リベカが受けた預言は、並列法 (parallelism) という形式で書かれたヘブル語の詩になっている。

二つの国があなたの胎内ににあり、

二つの国民があなたから分かれ出る。

一つの国民は、もう一つの国民より強く、

兄が弟に仕える。(創世記25:23)

 1行目と2行目で同じことを言い、3行目と4行目で同じことを言っている。各ペアがパラレルで並列されているので並列法だ。ヤコブからはイスラエル民族が生まれ、エサウからはエドム人が生まれる。そして、やがてエドムはイスラエルの奴隷となる。

 

 エサウは「巧みな狩人、野の人(創25:27)」になったが、「巧みな狩人」という表現は創世記第10章に登場するニムロデを連想されるもので、創世記の文脈では否定的な意味を持っている。また、「野の人」となるというのは、家族の絆の外で生きることを選んだことを意味しており、エサウは家族への忠誠などを捨てた男として描かれている。

 一方ヤコブは「穏やかな人」と表現されているが、「穏やかな」というのは原語のヘブル語では「タム」とう語である。これは「正しい」とか「完全」とかいう意味で、例えばヨブ記1:8や22:3ではヨブに関して「正しい人」と、創世記6:9ではノアに関して「正しい人」と表現するのに使われている。また、詩篇18:25では神と人に関して「全き」と表現している。また、人に関して「完全」というのは「罪がない」という意味ではなく「神に対する姿勢が正しい」という意味合いであり、義人であることを意味している。

 この「タム」というヘブル語がヤコブについてのも、「穏やかな」と訳されているのは、伝統的にキリスト教ではヤコブの性質を悪いものとして扱ってきたということが影響しているのだろう。しかし、実際には聖書ではヤコブのことを高く評価し、エサウの評価は極めて低い。そして、ユダヤ人の中にあってもヤコブの評価はやはり高いのだ。

 また、ヤコブは「天幕に住んでいた」が、これは羊飼いという家業を継ぎ、家族という絆の中で、責任を果たして生きることを選んだことを示している。アブラハム、イサクの道に従っていくということだ。

 エサウが「狩人」で「野の人」であったことと、ヤコブが「タム」で「天幕に住んでいた」こととはそれぞれ対照的な性質を表現している。

 

 エサウは狩りに疲れて空腹になったというだけの理由で長子の権利をヤコブに売ってしまったが、これはエサウが神から与えられたアブラハムの家系の祝福を軽視していたことを示している。それゆえエサウはヘブル書12:16で「俗悪な者」と評価され、マラキ書1:3で主は「わたしはエサウを憎み」と預言されている。