【感想】創世記(32)—イシュマエルの追放—

 聖書の言葉をあなたへ ハーベスト・タイム・ミニストリーズというサイトで無料で聞くことができる、聖書の講解メッセージの要約や感想を書いています。
 今回のメッセージはここで聞けます(2009年2月9日)→

©️ハーベスト・タイム・ミニストリーズ
message-station.net

 このメッセージのアウトラインはこちら

 今回は創世記21:8~34までです。

ここまでの文脈

 アブラハム契約の条項の中には子孫の約束があったが、アブラハムが100歳の時に、サラがイサクを産む。しかし、この時すでに、アブラハムには女奴隷ハガルが産んだイシュマエルがいた。

今回の聖書箇所を要約すると

  • イサクの乳離れの宴会のあと、ハガルとイシュマエルはアブラハム一家から追放される。
  • 2人は荒野で道に迷い死にかけるが、神に助けられ、イシュマエルは大いなる国民となると神から約束される。
  • アブラハムは、アビメレクと契約を結ぶとともに、ゲラルの地に定住することを決意する。

感想・気づき

 アブラハムがサラから、ハガルとイシュマエルを追放するよう迫られた時、アブラハムは「非常に悩んだ」。アブラハムにとってイシュマエルは高齢になって生まれた初めての子だったので、特に愛していただろう。

 また、当時の法律(ヌジ法典、ハムラビ法典)では、後から生まれた正妻の子は先に生まれた妾の子よりも優先して相続人となることと、そうした場合は先に生まれた妾の子は追放してはならないとされていた。つまり、イサクを跡取りとすることは合法的だが、だからといってイシュマエルを追放することは違法だったのだ。

 しかし、神はアブラハムに、サラの言うようにして、二人を追放するよう命じる。法律違反だとしても、神の介入があったのでアブラハムは追放に踏み切ることができたのだろう。

 

 神はイシュマエルについても「あの子を大いなる国民とする(創21:18)」と約束している。神はアブラハム契約の祝福をイシュマエルにも与えると言われたのだ。イシュマエルはアラブ民族の祖であることを考えると、この神の約束は非常に意義深いように思える。

 しかし、イシュマエルは「弓を射る者となった(創21:20)」。この表現は創世記10章に登場するニムロデを想起させるもので、創世記においては否定的な言葉だ。神の祝福の直後にこのような言葉がでてくるのもまた面白い。

 なお、ガラテヤ4:21〜31では、ハガルによって子を得る道を「業による救い」の型として、ラビ的ユダヤ教を説明しており、サラによって子を得る道は「信仰と恵みのよる救い」の型として、イエス・キリストを信じて救われる道を説明している。

 イシュマエルは「業による救い」の型として描かれているが、しかしそれでもイシュマエルはアブラハム契約の祝福に与っている。この辺りの感覚もまたとても面白い。

 

 アビメレクはアブラハムと平和契約を結ぶ。これはアブラハム都市国家の王ですも、脅威を感じるほどに勢力を増していたということだ。アビメレクは彼が神から祝福されていることを認めていたが、過去に一度サラのことで騙されているので、裏切らないように契約を結んでほしいとアブラハムに頼む。

 そして、アブラハムがこの地(ベエル・シェバ)に木を植える。「柳の木」と書かれているが、これはギョリュウ(タマリスク)のこと。これはアブラハムの定住の意思を示しており、ベエル・シェバはアブラハムとイサクの時代の活動の中心地となる。