【感想】創世記(26)—アブラハム契約の締結—

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 今回のメッセージはここで聞けます(2008年12月22日)→

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 今回は創世記15:7~21までです。

ここまでの文脈

 神はアブラムを選び、彼とその子孫を通して人類を救うことに決めた。そして、神からの召しに応じたアブラムは、ウルを出てカナンの地に住むようになった。

 アブラムは、子孫についての神の約束を信じ、その信仰のゆえに神から義とされた。これが義認である。

今回の聖書箇所を要約すると

  • 子孫の約束に引き続き、土地の約束についても神は再確認される。
  • 神はアブラムに5種類の動物を持ってくるよう命じ、アブラムはそれらを真っ二つに切り裂き、契約締結の準備をする。
  • 神のシャカイナグローリーのみが切り裂かれた動物の間を通り、片務契約の締結が完了する。

感想・気づき

 契約に関する詳細な解説が非常に面白かった。聖書の神・ヤハウェは「契約を守る神」と理解されているだけのことはある。創世記12章、13章で何度か出てきた神の約束が、15章では正式に契約として締結される。この契約が現代においても有効であるのが重要なポイントだ。

 当時の契約には、内容の重要度に応じて4種類の契約方法があった。

 最も簡単なものは「手の契約」で、双方同意した際に、握手をするか、相手の腰を打つ。エズラ記10:19(訳出されていないが、原文では「手を与える」とあるらしい)やエゼキエル書17:18(口語訳を参照)がこの契約の例である。

 2つ目は、「靴の契約」と言い、合意した際に、靴(サンダル)を交換する。契約はお互いに靴を基に返すまで有効となる。これはルツ記4:7~12が有名だ。

 3つ目は「塩の契約」。これは相手の塩袋に手を入れて一つまみ取り、それを自分の塩袋に入れる。塩袋の塩は元には戻せないので、契約破棄はできない。レビ記2:13、民数記18:19、第2歴代誌13:5などが、この契約の例である。

 4つ目の最も厳粛な契約は「血の契約」。動物を切り裂いて両側に並べ、契約の当事者がその間を歩く。違反したら切り裂かれた動物のように、命をもって償うという契約である。神がアブラムと結んだアブラハム契約はこの「血の契約」である。

 

 通常、「血の契約」で使うのは家畜一匹だが、アブラハム契約では5種類の動物(雌牛、雌やぎ、雌羊、雄羊、山鳩)が準備されている。これはこの契約の厳粛さと重要さを強調するためである。

 創世記15:17には、「煙の立つかまどと、燃えているたいまつが、あの切り裂かれた者の間を通り過ぎた。」という非常に奇妙な記述があるが、当時の「血の契約」の慣習を知っていると何が行われたのかわかるはずだ。これは契約締結の儀式なのだ。そして「煙の立つかまど」、「燃えているたいまつ」というのも謎めいていて、突如文脈を無視して現れているように感じられるが、これらは神の顕現である「シャカイナグローリー」である。つまり、神が動物の間を通って、契約を締結されたということである。

 この時、アブラムは動物の間を通らないままで、「主はアブラムと契約を結んで(創15:18)」と続く。これは違反した際の責任は神にのみあり、アブラムには責任や債務がない、片務契約が結ばれたということだ。日本の民法では、片務契約は贈与や使用貸借などが当てはまるが、アブラハム契約は神からアブラムに対する贈与契約ということになるだろう。また、繰り返しになるが、これは片務契約(無条件契約とも呼ばれる)なので、神にのみ債務(土地、子孫、祝福)があり、アブラムには債務がない、ということだ。

 また、「血の契約」のルールの捕捉になるが、この契約には、原契約の条項を変える変更契約はできなかったが、新たな条項を加える追加契約は可能だった。今後、アブラハム契約には、ダビデ契約や土地の契約が追加されていくことになる。

 

 創世記15:17などは本当に意味不明で理解できなかったが、今回のメッセージを聞くと、しっかりと腑に落ちて理解できた。何だか謎めいた古代の文書ではなく、当時の慣習や神学理解に基づき書かれた、理解可能な文書なのだなと、驚きながらメッセージを聞いた。

 そして、このアブラハム契約は「血の契約」なので、破棄されることはなく、現在も有効である。つまり、イスラエルに与えられた土地の約束は今も有効である。また、異邦人の救い(諸国民に対する祝福)は、アブラハム契約の一部であり、この部分に私たち異邦人は参加することができる。そして、この契約は片務契約であり、無条件契約なのだ。これは驚くべきことだし、喜ぶべきことだと思う。