【感想】ルカの福音書(7)ザカリヤの賛歌1:67~80

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 今回はルカの福音書1:67~80までです。

ここまでの文脈

 ヨハネとイエスとの対比が続いている。①御使いによる誕生の告知、②実際の誕生物語、③人々の喜びが対比される。ヨハネについては③までがちょうど前回で終わった。これらの対比を通じて、ヨハネよりもイエスの方が偉大であることが示されている。

 また、ルカの福音書1章と2章では、5つの賛歌が登場する。①エリサベツの預言的言葉(1:42~45)、②マリアの賛歌(マブニフィカート、1:46~55)、③ザカリヤの賛歌(ベネディクトゥス、1:68~79)、④天使たちの賛歌(グロリア・イン・エクセルヒス・デオ、2:14)、⑤シメオンの賛歌(ヌンク・ディミティス、2:29~30)である。これらは全て神の性質を表現しており、ルカの福音書の以降の物語はこれらに示された性質を具体的に展開していく。

今回の聖書箇所を要約すると

  • ザカリヤは、ザカリヤの賛歌(ベネディクトゥス)を通じて、メシアの到来を賛美しつつ、それと息子ヨハネとを関連付けてのその誕生を喜ぶ。
  • ヨハネは、両親亡き後、若いころから荒野で生活するようになる。
  • ルカの福音書執筆当時は、ヨハネに対する人々の信頼と信仰が絶大だったため、ルカはイエスの優位性を強調している。

感想・気づき

 天使ガブリエルはヨハネがメシアの先駆者だと予告し、マリアの賛歌は、イエスの誕生はアブラハム契約の終末的希望の成就だとうたった。そして、ザカリヤの賛歌は、メシアとヨハネの協力関係について歌っている。

 ザカリヤはルカ1:68~75でメシアの到来とメシアがもたらす解放について語り、ルカ1:76~79でヨハネの役割について語っている。

 「主はその民を顧みて(ルカ1:68)」という時の「顧みて」とは、「神がイスラエルの民のために具体的な行動を取ってくださる」という意味である。そして、顧みた内容は「聖なる契約(ルカ1:72)」と「誓い(ルカ1:73)である。これらは創世記22:16~18で神がアブラハムに誓った内容を指している。

 また、イスラエルが敵から解放されるという外的解放と、主の御前で、敬虔に、正しく生きていけるという内的解放を歌っている。

 

 ルカ1:76以降では、ヨハネがメシアに先立ってその道を備える「いと高き預言者」であり、イスラエルの民に罪の赦しによる救いを教える役割を果たすと歌っている。「罪の赦しによる救い」をイスラエルの民に教えることが、ヨハネ預言者と呼ばれる根拠の一つとして挙げられているので、この時点でメシアは政治的メシアではない可能性が示唆されている。

 また、あくまでメシアに先立つものとしてヨハネが召されていることを、ザカリヤは喜んでいる。ヨハネとメシアであるイエスとの比較においては、常にイエスが優位に立っていることをルカの福音書は教えている。使途の働きなどにも出てくるが、ヨハネを信仰する人々も当時はかなりいたため、ヨハネではなくイエスがメシアであり尊い方なのだと、ことさらにルカは強調しているのだ。