【感想】ルカの福音書(3)イエス誕生の告知1:26~38

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 今回のメッセージはここで聞けます(2021年10月31日)→

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 今回はルカの福音書1:26~31までです。

ここまでの文脈

 前回は、「ヨハネ誕生の告知」を学んだ。今回は、「イエス誕生の告知」をカバーするが、2つの誕生物語の構成は、慎重に計算されている。どちらも、①両親の紹介(ルカ1:5~7、ルカ1:26~27)、②天使の御告げ(ルカ1:8~23、ルカ1:28~30)、③しるし(ルカ1:18~20、ルカ1:34~38)、④妊娠(ルカ1:24~25、ルカ1:42)という構成になっている。

 この誕生物語は、ルカがマリア本人かその家族かにインタビューしたものと思われる。「個人情報」をルカが聞き出し、記録したということだ。

今回の聖書箇所を要約すると

  • マリアと、その婚約者でダビデの家系に属するヨセフは、当時は田舎の村であったナザレに住んでいた。
  • 天使がマリアに現われ、マリアはメシアとなる方を妊娠すると告げる。
  • マリアが御告げを信じて受け入れると、エリサベツの妊娠が「しるし」だと天使は告げて去っていく。

感想・気づき

 当時、ガリラヤは田舎で、エルサレムなどの南部の都市部からは蔑まれていた。ナザレは、そのガリラヤにあって、旧約聖書にもタルムードにも一度も登場したことがない辺境の村だった。ヨハネの物語は、神殿での天使の御告げから始まり、外へ外へと広がっていく。イエスの物語は、辺境の地ナザレから始まり、神殿へと向かう。この対比は鮮やかで面白い。

 

 マリアの「処女」であることについて、様々な意見があるが、「パーセノス」というギリシア語にいわゆる「処女性」の含意があることや、当時のユダヤの習慣では婚約は13歳前後であったことを考えると、マリヤは言葉通り「処女」であったと考えるのが妥当だろう。処女懐胎というのは神の奇跡である。

 また、天使ガブリエルはマリアを「恵まれた方(ルカ1:28)」と挨拶しているが、これはマリアを礼拝しているのではない。特別に神の恵みを受けた方という意味であり、恵みは神から一方的にマリアに与えられたと解釈するべきだ。そして、その恵みはメシアの母となる特権のことである。

 ガブリエルの御告げは、旧約聖書での慣例的な表現、ダビデ契約など、旧約聖書に通じていなければ理解できないが、マリアはそれらを瞬時に理解して応答している。マリアはしっかりとした聖書理解の土台があり、その上で天使の御告げを信じた。また、彼女は当時婚約中に夫以外の子を妊娠するというのが、いかに社会的に大きな犠牲を払うかも当然理解していたはずだ。このマリアの信仰は聖書理解に立ち、犠牲を厭わないという点で、信者の模範と言える。

 また、召命(ここでは、メシアの母になること)への応答という文脈では、マリアの応答は普遍的な適用がある。全ての職業は神からの召命であると言えるし、私たちは男性として、女性として、また、父、母、夫、妻、子どもとして召されているからだ。その召しにあたっては、「神にとって不可能なことは何もありません(ルカ1:37)」という言葉は何よりもの拠り所であり、最高の保障だと言える。

 

 しかし、マリアの信仰は大いに模範とすべき素晴らしいものだが、「マリア崇拝」は聖書の教えからの逸脱だ。「神の母聖マリア」という表現は誤解を生むし、マリアは人間としてのイエスの肉体を生んだが、子なる神は永遠の昔から存在し、イエスの肉体に受肉したのであって、マリアが神を生んだのではない。マリアは神からの召命に応答したが、崇拝の対象とはなり得ない。