【感想】創世記(15)

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 今回のメッセージはここで聞けます(2008年9月21日)→

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 今回は創世記8:1~22までです。

ここまでの文脈

 創世記は、11の区分(トルドット)に分かれている。第3のトルドットは創世記6:9~9:29まで。前回は、ノア一家が箱舟に入り、大洪水が起きたところまでをカバーした。

 また、創世記6:11~8:22は「対照対句法(Antithetical parallelism)」というヘブライ文学の形式に則って記されている。今回扱う創世記8:1aは、この箇所の対照対句法において、最も強調点のおかれている頂点にあたる箇所である。

今回の聖書箇所を要約すると

  • 神はノアに心を留められていたので、風を吹かせて洪水の水が引いていくようにされた。
  • ノアは、371日、53週の間、箱舟の中にいたが、地が乾き、神からの命令があったので、外に出る。
  • ノアは祭壇を築き全焼の生贄をささげ、神は今後は人の悪のゆえに地を滅ぼすことはしないと決める。

感想・気づき

 ノアの大洪水とそこからの回復が、創世記1:2のカオスとそこからの創造との再現であるという構造が非常に面白かった。

 洪水が始まる際の「巨大な大いなる水の源が、ことごとく張り裂け、天の水門が開かれた(創7:11)」という表現では、「大いなる水の源」が「天の水門」と同じものなのか、別のものなのかが曖昧だが、洪水が終わった際の「大いなる水の源と天の水門が閉ざされ(創8:2)」という箇所からは、この2つが別々のものであるとはっきりと読み取れる。

 「大いなる水」とは創世記1:2にも記されているもので、「テホム」つまり混沌としての塩水の淵のことであり、天地が呪われた状態であることを指す言葉だ。この「大いなる水」が創造の第2日目に、「上の水」と「下の水」に分けられた。ところが、この大洪水が起こり、分けられていた水が再び一つとなって地上を覆った。つまり、地球全体が呪われた状態に戻ったということだ。しかし、神はノアを「心に留めておられた(創8:1)」ので、再び呪われた状態から地上を回復された。

 悪に対して裁きを下すのは、「神の義」だ。しかし、神は「神の愛」のゆえに、また、「人の心の思いはかることは、初めから悪である(創8:21)」ので、人のゆえに全ての生き物を滅ぼすことはしないと決められた。ここに、「神の義」と「神の愛」とのジレンマがある。

 ノアが箱舟から出て、全焼の生贄を捧げ、神は「そのなだめのかおりをかがれ(創8:21)」て神はそう決められたのだが、これはカルバリの丘の十字架を予表している。イエスの十字架の死によって、「神の義」と「神の愛」とが同時に満たされる。ここに神のジレンマが解消されることとなる。

 

 また、洪水と箱舟は、バプテスマの型になっている(cf.Ⅰペテロ3:20~21 ペテロの第一の手紙(口語訳) - Wikisource )。そして、大洪水を経て箱舟から出たノアに対して神は、「地に群がり、地の上で生み、そしてふえるようにしなさい(創8:17)」と命令している。これはクリスチャンは、「バプテスマを受けて救われた者は、その後霊的にふえるようにしなさい、伝道しなさい。」と読み替えることができる。

 ノアは、大事なポイントでは神からの啓示を待ったが、それがない時には、自ら烏や鳩を使うなどして自分自身で理性的に判断をしている。神の啓示と自分の判断、これらのバランスが信仰生活、伝道でも重要だろう。