【感想】創世記(1)—初めに—

 聖書の言葉をあなたへ ハーベスト・タイム・ミニストリーズというサイトで無料で聞くことができる、聖書の講解メッセージの感想を書いています。
 今回のメッセージはここで聞けます(2008年6月19日)→

©️ハーベスト・タイム・ミニストリーズ
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 今回は創世記1:1です。

イントロ

 

今回のメッセージを要約すると

  • 創世記の前半(1:1~11:9)は全人類に関する話が、後半(11:10~50:26)はイスラエルの民に関する話が記録されている。
  • 創世記を読み込むと、聖書と神の計画との全体像を把握することができる。
  • 無から有を創造する神は、まず「第一の天(鳥が飛ぶ空間)」、「第二の天(宇宙空間」、「地」を創られた。

感想・気づき

 創世記の記述と現在証明されている科学的理論とが矛盾している点は全くないという解説はその通りだと思った。私たちの生きている宇宙には、始まりがあったことが科学的にわかっている。なぜ宇宙が始まったのかという原因、なぜビックバンが起こったのかという原因はわからない。それが神によるものなのかどうなのかも科学的にはわからない。ただ、宇宙物理学などでわかっている範囲のことと創世記の記述とは矛盾しないのだろう。むしろ、ある時に宇宙が発生したという意味で正確な記述と言えるのかもしれない。

 また、進化論と聖書とは矛盾するが、進化論はいまだ仮説であって、証明はされていない。聖書は証明された科学的理論とは今のところ矛盾していない。

 因果関係というものを考えて、過去へと遡っていくと、必ずギリシャ哲学でいう所の「第一原因」というものを考えざるを得ない。それがアリストテレスの言う「不動の一者」なのか、聖書の言う「神」なのかは論証することはできないだろう。しかし、だからこそ、そこに信仰の余地が生まれる。そして、信仰に値するかどうかは、聖書の内容をよく吟味するよりほかにはないはずだ。

 少なくとも、「第一原因」は何なのか、と問うことは現代においても十分に意味のある事だと思う。そう考えると、「全て偶然によって進化した結果人間になった」という進化論だけでなく、諸々の神概念も全て議論のテーブルに載せることはできるだろう。まず、ここから考えることを始めれば、対話や議論も可能になるだろう。

 

 聖書には神の存在を証明する記述はない。神の存在が証明できるなら、もはや「信じる」必要はなく、その証明を理解して受け入れるだけの話になる。神は「信じる」ことを求めている訳だから、証明は不可能であろう。でなければ、神は矛盾したことを言っていることになってしまうから。

 無神論も科学万能主義的なものも、キリスト教信仰と同じく、信仰の一種だ。神の不在は証明できないだろう。過去の思想家たちを振り返れば、そのことはわかるはずだ。「第一原因」について考えることを放棄したとしても、「何か」があるはずだ、ということには変わりはない。

 

 創世記1:1でいう「神」の原語は「エロヒム」という神の複数形が使われている。伝統的な解釈では、「複数形の卓越性」を示すための用法であり、唯一の神の尊厳を表現するために複数形を使用しているとされる(エロヒム - Wikipedia)。しかし、これは神が三位一体の神であることを暗示していると考えるべきだとメッセージでは解説される。

 確かに、文法的な特殊な用法を作るより、「三位一体の神だから主語は複数形で動詞は単数形」と考える方がシンプルですんなり理解できる。複雑なものより簡単なものの方が真理に近いのだろう。