【感想】ルカの福音書(2)ヨハネ誕生の告知1:5~25

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 今回はルカの福音書1:5~25までです。

ここまでの文脈

 ルカの福音書冒頭の「献呈の辞」は、ギリシア古典文学の形式に則っており、著者の資格や調査方法について記されていた。ルカは、既存の文書資料や口伝情報などを綿密に調査し、時系列に「順序を立てて」福音書を書いた。

 今回は「献呈の辞」に続く、「ヨハネ誕生の告知」について学ぶ。

今回の聖書箇所を要約すると

  • 祭司ザカリヤは、くじに当たり、至聖所で香を焚く奉仕をすることになった。
  • 至聖所で、ザカリヤの前に天使ガブリエルが現れ、高齢の妻・エリサベツにヨハネが生まれると告げる。
  • 御告げを信じなかったザカリヤは9か月間口がきけなくなるが、エリサベツは御告げ通り妊娠する。

感想・気づき

 歴史家でもあるルカは、ザカリヤの紹介に際して、「ユダヤの王ヘロデの時に、(ルカ1:5)」と、時代設定を明記している。ヘロデ大王はローマに任命された傀儡王で、B.C.37~4までユダヤ地方を治めた。イドマヤ人(エサウの子孫)で、悪名高い王であった。バプテスマのヨハネの誕生を、歴史の中に組み込まれた史実であることを、ルカは意識して書いている。

 当時のユダヤ人の祭司たちは、24組に分かれており、各組が輪番で年に2回、ある安息日から安息日までの1週間、神殿で奉仕をしていた。その際に、誰がどのような奉仕をするかは各組の中でくじをひいて決める慣習になっていた。当時、およそ18,000人の祭司がいたといわれているが、最も神聖な至聖所で香を焚く奉仕は、生涯で一度もくじが当たらない祭司もおり、とても名誉ある奉仕であった。

 また、ルカの福音書第1章から第2章は、そのギリシア語の文体が七十人訳聖書(旧約聖書ギリシア語訳)に似ていて、文章にヘブライ的リズムがあると言われている。冒頭のユダヤ人の祭司の慣習や神殿での奉仕の様子の描写などと相まって、非常に旧約聖書的雰囲気が漂っていると言える。ルカは、旧約聖書との連続性を意識してルカの福音書を書き出している。

 

 ザカリヤとエリサベツとの夫妻は、「ふたりとも、神の御前に正しく、主の全ての戒めと定めを落度なく踏み行っていた(ルカ1:6)」。これは律法による行いによって、「神の御前に正し」いとされたのではなく、神に対する信仰によって「義」とされていた。信仰の結果として、律法を守るという行いが生じていた。

 このことは、ヤコブの手紙でも、「信仰があると言っても、その人に行いがないなら、何の役に立ちましょう(ヤコブ2:14)」、また、「信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは、死んだものです(ヤコブ2:17)」と書いてある通りです。

 これらの聖句は「信仰があれば、必ず行いが伴う」と言っています。一方で、「信仰によらない行い」というものもあり得ると思います。「信仰があれば、必ず行いが伴う」という命題の逆、「行いがあれば、必ず信仰がある」という命題は必ずしも真ではないからです。言えることは上述の命題の対偶である「行いがないのであれば、必ず信仰はない」、です。この「行い」については、人目に触れない、神のみがご存じであるような「行い」もあるでしょうから、人間の判断だけで、「行いがない」と判断することは困難でしょう。また、「信仰があるので、行いが生じている」と判断するのも、最終的には個人の内心は神にしかわからないので、人間には推測しかできないでしょう。人間は、自分自身の内心もわからないことがあるからです。

 

 話が脱線しましたが、さて、ザカリヤに天使が現れた際、「香壇の右に立っ(ルカ1:11)」ていました。ユダヤ教の伝承では、「裁きの天使は香壇の右に立つ」と言われていたので、ザカリヤは自身の奉仕に何か落度があって裁かれるのだと思い、「不安を覚え、恐怖に襲われた(ルカ1:12)」。この描写もまた、極めてユダヤ的、ヘブライ的文章で、旧約聖書の雰囲気が出ている。解説を聞くとそのことがよく感じられるようになり、非常に面白い。ルカがユダヤ人の習慣を熟知している、と言われるのもこういった箇所からだろう。