【感想】創世記(28)—割礼—

 

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 今回のメッセージはここで聞けます(2009年1月12日)→

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 今回は創世記17:1~27までです。

ここまでの文脈

 神はアブラムを選び、彼とその子孫を通して全人類を救おうとされた。そのために、神はアブラムとアブラハム契約を結んだ。その中で、アブラムには星の数ほどの子孫が与えられると約束されたが、アブラムとサライは人間的な計画でその約束の子を得ようとした。それが、エジプト人の女奴隷・ハガルから生まれたイシュマエルである。当時の慣習では、不妊の妻が女奴隷によって子を得ることは合法的だったが、神がアブラムに計画していることとは違う方法だった。

今回の聖書箇所を要約すると

  • 神は、アブラムに「多くの国民の父となる」、また彼の子孫との間にアブラハム契約を永遠に立てるという新たな約束をし、「アブラハム」へと改名させる。
  • サライには、彼女から約束の子が生まれると約束し、「サラ」へと改名させる。
  • アブラハムとその家の男たち全員は、契約のしるしとして割礼を施す。

感想・気づき

 アブラハム契約が、人類の歴史が続く限り永遠に有効であるという点が非常に重要だと感じた。ノア契約の「しるし」が虹であったように、アブラハム契約の「しるし」はユダヤ人の割礼である。アブラハム契約の当事者であるユダヤ人がいる限り、この契約は有効であり続ける。

 また、アブラハム契約は無条件契約ではあるが、その契約を受けた者には、愛の応答が期待される。しかし、その応答がなくても、契約が破棄されることはない。これはクリスチャンの救いの場合も同じで、救いは、信仰により恵みによるが、救われた者は愛の応答がきたされている。上記の通り、アブラハム契約が有効であり続ける限りは、この応答は神から期待され続ける。

 

 しかし、以上の解説にも関わらず、創世記17:14に関する解説においては、割礼をしない者は「その民から断ち切られなければならない」のであって、例えべ出エジプト記4:24~26でモーセは自分の子に割礼を受けさせていなかったがために神に殺されそうになる。これは割礼が何らかの条件になっているように思えるし、「愛の応答」というよりも強制力を伴った命令のように思える。

 

 また、イシュマエルに対しても神が祝福の約束をしているのはいいなぁと思った。アブラハム契約はサラから生まれる子どもイサクへ受け継がれていくが、アブラハムはイシュマエルの幸せも心から願ったし、彼こそが約束の子だと思ってきた。アブラハムの子の思いに対して、神は、「彼の子孫をふやし、非常に多く増し加えよう。彼は十二人の族長たちを生む。わたしは彼を大いなる国民としよう(創17:20)」と約束する。

 

 ちなみに、アブラハムは「割礼」受けたから「義」とされた訳ではない。まず、神に対する信仰によってアブラハムは義とされ(創15:6)、義とされた「しるし」として割礼を受けた(ロマ4:9~12)。このことは、非常に重要だと思う。いつの時代も、救いは信仰と恵みによる。割礼や律法はそのあとの話ということだ。