【感想】創世記(19)—バベルの塔—

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 今回のメッセージはここで聞けます(2008年10月27日)→

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 今回は創世記11:1~9までです。

ここまでの文脈

 創世記には11の区分(トルドット)がある。今回で第4のトルドットが終わる。第4のトルドットの前半、創世記第10章は、ノアの息子たちがその後どのように広がっていったのかという内容だった。今回の内容は、彼らが広がっていった原因を説明している。

 へブル文学では「再記述の法則」という文学様式がある。今回の箇所では、創世記第10章で起きたことを、第11章でその一部をさらに詳しく説明し、なぜ第10章のような状態になったかを記している。だから、時系列としては、創世記第10章と第11章は前後している。創世記第1章と第2章で、天地創造の話が2回繰り返されるように記されているのも、「再記述の法則」によっている。

今回の聖書箇所を要約すると

  • ノアの子孫たちは、アララテ地方からシヌアルの地へと戻り、町を建てる。
  • 占星術のためにバベルの塔を建設し、人々が全地に散らされないようしようとする。
  • 人間たちは「地に満ちよ」というノアの契約に違反したので、神は言葉を混乱させ、人々を散らしてしまう。

感想・気づき

 ノアの子孫たちは、箱舟が降り立ったアララテから、シヌアルの地へと移動した。シヌアルの地は、バビロンであり、元々エデンの園があった場所なので、彼らは西から東へと移動したことになる。洪水のあとで、土地は肥え、また、平地であったので農業や都市建設には適していたことだろう。

 エデンの園のあった場所に戻ってくるというのが、とても面白い。一度洪水で滅ぼされた人間は、人類の歴史の始まった「先祖たちの地」に帰還し、神は新たなチャンスを人類に与えられたということだ。ここで、このチャンスを生かして、地に広がり神を讃えればよかったのに、またしても神を裏切り、反抗の歴史を繰り返すようになる。人間の本質が現れているようで、とても面白い。

 

 バベルの塔を建てのは第10章で登場したニムロデだが、この「天に届く塔」は占星術のためのもので、彼らは神の領域に近づこうとした。これは誤った宗教の原型である。また、ニムロデは後に神格化され、バビロンの主神・マルドゥクとして崇められるようになる。

 しかし、実際には人類がいかに高い塔を建てたとしても、神は「人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて(創11:5)」こなければならない。これは神に対して擬人法を用い、いかに人類が神の前に小さな存在であるかを表現した風刺である。

 また、「名をあげよう(創11:4)」とニムロデが言っているのは、洪水前にネフィリムが「名のある者たち(創6:4)」だったように、個人的な動機に基づく野望であり、神から離れるという、人間が抱く根本的な罪である。

 

 さらに、人類が全地に平がることが、神の計画であったにも関わらず、「全地に散らされるといけないから(創11:4)」と考えるのは、ノア契約の違反だった。これが原因で、神は人間のことばを混乱させた。創世記11:1に記されているとおり、もともと人類は一つの言葉で皆話していたが、ここで様々な言語が生まれた。

 この町はバベルと呼ばれたが、これはバビロンのへブル語だ。ヘブル語で「バベル」は「散らす」、また、「バビル」は「神の門」、さらに「バラル」は「混乱させる」という意味があり、全て「バベル」との言葉遊びになっている。「神の門」が「混乱の門」になったということだ。

 

 キリスト教にしても、ローマで国教化されたと同時に、カトリックの腐敗と堕落は始まるし、プロテスタントも都市や国家に採用され始めると同時に堕落し始めているように思う。権力を持った瞬間から、人間は腐り始めるようだ。歴史は何度も繰り返されるのだなぁと今回の箇所から強く感じる。