【感想】ルカの福音書(11)2人の証人2:25~38

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 今回のメッセージはここで聞けます(2021年12月26日)→

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 今回はルカの福音書2:25~38までです。

ここまでの文脈

 イエスが生まれ、8日目に割礼を受けた。そして、マリアの40日目の清めの儀式のためにイエス一家は神殿に上る。

今回の聖書箇所を要約すると

  • エス一家は妻マリアの清めのために神殿に入る(恐らく「婦人の庭」)が、そこで、シメオンとアンナから預言と賛美を受ける。
  • エスは、イスラエルの民と異邦人の両方、つまり全人類の救いとなると預言される。
  • また、同時にイエスの伝えるの真理はイスラエルの民を二分するとも預言される。

感想・気づき

 キリスト教とは、「普遍的ユダヤ教」のことなのだ、という今回のメッセージの結論は非常に「熱い!」と思った。ルカの福音書は、主に異邦人に向けて書かれており、福音がいかに世界に広がり、普遍的な内容かということを伝えようとしている。世界に広がっていく帰結は続編の使徒の働きで描かれているが、そのルカの伝えたかった核心部分が今回の箇所ではっきりと示されているということだ。

 また、シメオンの賛歌で参照されているイザヤ49:6もものすごい。こんなことが旧約預言にこんなにはっきりと明らかに記されているのかと驚いた。そこには、「主は言われる。『あなたがわたしのしもべであるのは、ヤコブの諸部族を立たせ、イスラエルの内の残されている者たちを帰らせるという、小さなことのためだけではない。私はあなたを国々の光とし、地の果てにまでわたしの救いをもたらす者とする』(イザヤ49:6)」と言われており、メシアがイスラエルだけでなく、異邦人を含めた全世界に救いをもたらすと、はっきりと書いてある。この箇所はユダヤ教の伝統ではどのように解釈されているのだろうか。非常に気になるところである。

 ヨセフとマリアは語られた内容に非常に驚いたが、それは天使の告知以上の内容が語られたからだ。自分に生まれた子どもが、そのような歴史を大きく動かすことになると知らされたら一体どんな気分になるだろう。ただでさえ、生まれる前に天使が現れ、処女懐胎という信じられないことが起きていたにもかかわらず、シメオンの賛歌に対してもさらに驚いたということなのだから、ダビデの王位が建て直される以上に諸国民が救われるということが、当時のユダヤ人の旧約預言理解においては衝撃的な内容だったということだろう。

 

 メッセージで語られた「真理は人々を二分する」というのも、非常に重い言葉だ。イエスは「イスラエルの多くの人が倒れたり立ち上がったりするために定められ、また、人々の反対にあうしるしとして定められているます(ルカ2:34)」とシメオンは預言するが、平和をもたらすためではなく剣をもたらすためにやってきた、というイエスののちの言葉そのままだ。イエスに対する態度は、その人の心の内を明らかにする。罪の下にいるままのひとは、イエスに反対せずにはおれないのだ。

 

 シメオンは「正しい、敬虔な人」だったが、これは旧約的な意味での義人であることを指している。また、「聖霊が彼の上におられた」というのは、旧約的な意味での聖霊による支配を意味している。彼は、完全に旧約時代の預言者の系譜に連なる人物であり、イスラエルの残れる者、レムナントの一人だ。

 このルカの福音書1〜2章は、非常に旧約聖書的な雰囲気を残している。いわばイエスが登場するまでの、旧約時代から新約時代への移行の記録だと言える(厳密には、新しい契約が締結されるのは、イエスの十字架の死によってである)。

 この旧約的雰囲気の中で、シメオンが「あなたが万民の前に備えられた救いを。異邦人を照らす啓示の光、見民イスラエルの栄光を。(ルカ2:31〜32)」と語った。異邦人の救いは初臨のメシアの働きであり、イスラエルの救いは再臨のメシアの働きである。そのことはこの時点では誰も知らないことだが、預言としてシメオンが語っていることは大きな意味があると思う。