悪魔は誘惑し、神は試す【感想・備忘録】ルカの福音書(16)荒野の誘惑4:1~13

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ここまでの文脈

 イエスは、ヨルダン川ヨハネからバプテスマを受けた。ヨハネバプテスマを通じて、メシアの本質が明らかになった。メシアの本質は、神の子であり主のしもべであるということだ。

 その次に、挿入区としてイエス系図が紹介された。この系図は挿入区なので、実は今回の荒野の誘惑は、ヨハネバプテスマと連続した出来事である。

今回の聖書箇所を要約すると

  • 荒野で、イエスは悪魔から誘惑を受ける。
  • エス申命記を引用し、悪魔の誘惑を退ける。
  • 荒野の誘惑を通じて、イエスは、アダムの失敗、イスラエルの失敗、人類全体の失敗を償った。

感想・備忘録

 イエスヨハネバプテスマのあと、聖霊が下り、聖霊の力によってメシアとしての働きを始める。そこで荒野の誘惑に遭う。

 「四十日間、悪魔の試みを受けられた(ルカ4:2)」という箇所の「試み」はギリシア語で「ペイラゾウ」という語で、「誘惑する (tempt)」と「試す (test)」という2つの意味がる。イエス聖霊により荒野に導かれ、悪魔から誘惑を受け、それは同時に神から試された。聖霊の働きによりイエスはメシアとして働くが、同時に荒野へも導いたのだ。

 

 悪魔はイエスを誘惑したが、イエスは全て申命記から引用して誘惑を退けている。「霊的戦い」を強調するキリスト教の教派教団があるが、荒野の誘惑は「霊的戦い」の教科書と言える。異言で祈るだとか、悪霊を縛るだとかという牧師もいるが、イエスは聖書を深く知り、御言葉を引用することで悪魔の誘惑を退けているのだ。これが王道だ。

 悪魔は詩篇91:11〜12を引用して、神殿の屋根の上から身を投げてみろと試みる。これは奇跡のパフォーマンスで衆目の注目を集めて、メシアとして認めてもらえばどうか、という誘いである。しかし、この引用箇所は「あなたのすべての道で」という限定がある。これは神の御心の道を歩む人への守りの約束なのであって、個人的な欲求のために適用される箇所ではない。

 この文脈を無視した聖書の引用が悪魔の手管だった訳だが、これは現代のカルト的な教会にもそのまま当てはまる。前後の文脈を無視して、聖書を都合よく切り抜いて信徒に献金をすれば経済的な繁栄が約束されると言ったり、誤った聖書理解を植え付けたりといった具合だ。このてのカルト教団や教えは荒野の誘惑の悪魔と同じということだ。