【感想】ルカの福音書(12)イエスの成長2:39~52

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 今回はルカの福音書2:39~52までです。

ここまでの文脈

 イエスが生まれ、8日目に割礼をした。40日目にマリアの清めを行い、その際、神殿でシメオンとアンナから祝福と賛美の言葉を送られる。

今回の聖書箇所を要約すると

  • エスは12歳になるまで、マリアとヨセフのもとで、平穏に生活し、育っていった。
  • 12歳頃までに、イエスはメシアとしての自覚が芽生え、両親と共に過越の祭りのために訪れたエルサレムの神殿を「自分の父の家」と呼ぶ。
  • その後、イエスは30歳頃までナザレで、両親と共に生活し、仕えた。

感想・気づき

 原罪のない人間がいかにして成長するかを、この箇所はイエスを通して書いているということらしい。そして、歴史上これが唯一完璧な成長の例であるとのこと。マリアが無原罪などと言われることもあるが、そんなことはありえない話であり、イエスこそが歴史上唯一無原罪で生まれ、無原罪のまま人生(人間としての)を全うした例なのだ。

 「幼子は成長し、知恵に満ちてたくましくなり、神の恵みがその上にあった(ルカ2:40)」。これがルカの表現する原罪のない人間の完璧な成長を表している。

 まず、肉体的に成長した。普通の乳幼児が通過する全ての段階を経験した。普通の人間と同様、乳児の頃はお腹が空いたり、排便したりして不快に気持ちになれば泣き、母親に抱かれて安らぎを覚えたことだろう。様々なことを経験を通じて学び、身の回りの世界を知っていったはずだ。「知恵に満ちて」とは、体験して得た知識を生活の中で適用する能力があったということだ。この知識とは体験であるという含意は非常にヘブル的なものだ。そして、「神の恵みがそのうえにあった」とは、ここでは神の寵愛を受けていたということだ。神が共におられることでイエスは霊的成長も著しかっただろう。

 

 イエスが12歳の時に、両親と共に祭りの季節にエルサレムの登った際、他の家族はもう帰途についたのに、イエス一人で神殿に残ってそこで律法の教師たちの話を聞いたり質問していた、ということが起きる。両親がイエスを探し出して叱責した際に、イエスは「わたしが自分の父の家にいるのは当然である(ルカ2:49)」と答える。イエスの中にはっきりと、メシアとしての自覚が芽生えてきたこたことがうかがえる。

 12歳というのは、ユダヤ人の少年が父から仕事を学び始める年齢である。そして、13歳になると成人男性として扱われるようになる。イエスは、12歳になってから、父ヨセフから大工仕事も学び始めたのだろうが、天の父からは公生涯に向けた霊的訓練を受け始めたのだ。

 第1サムエル3:10では、少年サムエルが神のことばを聞くようになる。この時のサムエルの年齢は聖書には記載がないが、ユダヤ人史家ヨセフスは、この時サムエルは12歳だったと解説しているらしい。この後、「サムエルは成長した。酒は彼と共におられ(Ⅰサム3:19)」た。この少年イエスと少年サムエルの記事は、内容が類似しており非常に面白い。

 

 ここで、「両親は彼を見て驚(ルカ2:48)」いた。これは聖書の読者からしたら、不思議に感じる。マリアもヨセフも共に天使からの告知を聞き、イエス出産直後の羊飼いたちの礼拝を経験し、東方の博士たちから乳香・没薬・黄金を授かり、主の使いの導きでエジプトへ逃亡し、更に主の使いの声を聞いてエジプトから帰ってくるという尋常ではない出来事をすでに経験しているにも関わらず、イエスの神殿での様子をみて驚いたのだ。

 しかし、イエスが2歳頃の時にエジプトへ逃げ、数年後にナザレに住むようになったとして、この時点で5〜6年は平穏に暮らしていたと仮に考えると、人間というものはこれだけの年数何もなく過ごすといかにすごい体験をしていてもその印象は薄れ、実感がなくなっていくものなのだろう。今過ごしている日常がこれからもずっと続いていくと考えてしまうものなのだろう。この辺りは聖書の持っているリアリティーだと思う。