【感想】創世記(31)—イサク誕生の経緯—

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 今回のメッセージはここで聞けます(2009年2月2日)→

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 今回は創世記20:1~21:7までです。

ここまでの文脈

 神はアブラハムを選び、彼とその子孫を通して全人類を救おうとし、彼とアブラハム契約を結ばれた。また、神はアブラハムの子孫が多く増え、サラから息子が誕生することを約束した。

今回の聖書箇所を要約すると

  • ソドムとゴモラの裁きの後に移動した先で、ゲラルの王・アビレメレクにアブラハムの妻・サラは召し入れられてしまう。
  • 神の介入により、サラはアブラハムのもとに戻り、更にアビメレクから土地、家畜、奴隷、賠償金が与えられる。
  • アブラハムが百歳の時に、サラが約束の子・イサクを生む。

感想・気づき

 イサクが生まれたのが、アブラハムが百歳の時。神から約束されてから25年が経っていた。「彼は望みえない時に望みを抱いて信じました。・・・彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、神には約束されたことを成就する力があるとことを堅く信じました。だからこそ、それが彼の義とみなされたのです(ローマ4:18〜22)」。また、サラも「すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。彼女は約束してくださった方を真実な方と考えたからです(ヘブル11:11)」。

 祈りに対する答えを待つというのは、息の長い長期戦なのだと思わされる。明日を思い煩わず、日々を過ごしながらも、祈りと願いは忘れないように生活していきたい。なかなか難しいことだけど、アブラハムとサラにとってのイサクの誕生が励みになる。

 

 ゲラルの王アビメレクからサラが返される際に、アブラハムは「神が私を父の家からさすらいの旅に出された時、私は彼女に、『こうして、あなたの愛を私のために尽くしておくれ。私たちが行くどこででも、私のことを、この人はわたしの兄です、と言っておくれ。』と頼んだのです(創20:13)」と釈明している。

 このゲラルでのアビメレク事件は、エジプトのパロにサラ(その時はサライ)が召し入れられたエピソードとほぼ同じ展開だが、これはアブラハムが神の召しを受けて旅立って以来25年間続けてきたことが原因だった。逆に言うと、この2回以外は全てうまく行っていたということだろう。だから、エジプトで失敗したにも関わらず、ゲラルでも同じことをしたのだろう。創世記20:13のアブラハムの釈明がなければ、なぜ性懲りもなく同じ過ちを犯すのだろうと思うが、実際にはほとんどのケースではうまくいっていたのだろう。

 

 アビメレク事件で、アビメレクには悪意はなく何の罪もないが、結果的にアブラハムとサラから「女の子孫」の家系に連なるイサクが誕生するのを妨害してしまった。神の介入により、この妨害は失敗したが、この背後にはメシアの誕生を妨害するサタンの力が働いていたと解釈できる。

 サタンは創世記3:15で「女の子孫」の約束を神から聞いて以来、一貫してメシア誕生を妨害しようと暗躍しているのだ。しかし、結果的にはこの事件を通じて、アブラハムを祝福する者は祝福され、呪う者は呪われるというアブラハム契約の祝福の条項のことをサラとアブラハムはより深く理解するようになり、神への信仰を深めた。

 ヨハネが「光はやみの中に輝いている。闇はこれに打ち方なかった(ヨハネ1:5)」と書いた時、彼は旧約聖書の中で起きた様々なメシア誕生を妨害する事象を思い浮かべのだろう。このアビメレク事件も、まさにこれらの事象の一つだ。