【感想】ルカの福音書(9)羊飼いたちへの告知2:8~20

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 今回はルカの福音書2:8~20までです。

ここまでの文脈

 ヨハネとイエスとの対比が続いている。それぞれ、①誕生の告知、②実際の誕生の物語、③人々の喜び、が対比されるが、これらの対比を通じて、ルカはヨハネよりもイエスのほうが偉大であることを示している。

 前回はイエスの②が終わった。今回はイエスの③の部分である。イエスの誕生物語と、人々の喜びについて描かれるルカの福音書第2章の資料は、ルカだけが取り上げている情報である。

 ローマ皇帝アウグストゥスが人口調査の勅令を出し、ヨセフとマリアがベツレヘムに帰って、そこでの滞在中に、マリアはイエスを産む。家畜の囲い場で飼い葉桶に寝かされるという、イエスの生涯の始まりは、非常にみすぼらしいものだった。

今回の聖書箇所を要約すると

  • 主の使いが、ベツレヘム近郊で野宿していた羊飼いたちに現れ、今日メシアが生まれることを告げる。
  • 羊飼いたちは非常に恐れたが、直ちに行動し、主の使いが告げたしるし通りに飼い葉桶で眠るイエスを探し当てる。
  • 羊飼いたちは、イエスがメシアであることをその場にいる人々に伝え、神を賛美しながら帰っていく。

感想・気づき

 主の使いが羊飼いたちに、「救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです(ルカ2:11)」と告げる。ここにはイエスに関する3つの称号が含まれている。

 「救い主」はギリシア語で「ソテイア」。当時、ローマ帝国では皇帝をこの語を用いて「救い主」と呼んでいた。クリスチャンはその称号をキリストに適用している。そして、クリスチャンは「自分は罪人だ」という認識があって初めて、イエスは「救い主」となるという点が特徴だ。

 「キリスト」はギリシア語で「クリストス」、「油注がれた者」という称号である。信者にとってはこの称号が最も重要なものとなる。だから、一般にイエス・キリストと呼ぶ。そして、信者はクリスチャンと呼ばれるようになる。

 「主」はギリシア語の「キュリオス」で、これは旧約聖書でいう「ヤハウェ」を指す。イエスは救い主であり神なのだ。この称号の意味は、羊飼いたちは十分に理解していなかったと思われる。マリアについても同様(cf. ルカ8:19)で、彼女がはっきりとそのことを理解するのは、イエスの復活のあとである。

 これらの称号の意味を知ると、この御使いの言葉が非常に重く感じられる。

 

 また、当時の羊飼いたちの社会的立場もこの箇所を理解するのに重要である。

 当時、羊飼いたちは、律法に無知で、儀式的に汚れており、嘘つきで盗人だと考えられており、取税人や遊女と同じように、社会的に差別されていた。律法については、羊の番をしていては学ぶ時間がないし、羊飼いたちの共同生活の中では、所有の概念が希薄で、罪の意識はないが、結果的に羊飼い以外の人々からは、嘘や盗みと思われる行動をしがちであったからだ。

 主の使いが彼らに現れた時、「主の栄光が周りを照らした(ルカ2:9)」。これは実にエゼキエル以来、500年ぶりにイスラエルに現れたシャカイナグローリーであるが、羊飼いたちはこれを非常に恐れた。それは彼らが自分たちのことを決して義人とは考えていないし、むしろ差別されるだけの理由がある罪にまみれた存在と認識していたからだ。

 しかし、主の使いは一番始めに羊飼いたちに現れてメシアの到来を告げた。そして、彼らが歴史上一番最初のメシア礼拝を行った。マリアがマリアの賛歌(マグニフィカート)で歌った逆転の真理がここにある(cf. ルカ1:51〜55)。イエスは、貧しい者たちとひとつとなってくださったのだ。