【感想】創世記(24)—戦士アブラム—

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 今回のメッセージはここで聞けます(2008年12月8日)→

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 今回は創世記14:1~24までです。

ここまでの文脈

 第6の区分「テラの歴史」が続いている。「テラの歴史」は、テラの息子・アブラハムがどうなったかという物語である。

 今回の箇所は、平和の人アブラムが、戦士アブラムとして活躍する。

今回の聖書箇所を要約すると

  • ソドムに住むようになったロトは、戦争に巻き込まれて捕虜になってしまう。
  • 知らせを聞いたアブラムは、盟約を結んでいたエモリ人マムレ、エシュコル、アネルと共に戦い、ロトとその財産を取り戻す。
  • シャレムの王メルキゼデクは祭司としてアブラムを執り成した、一方ソドムの王はアブラムに対して自分本位で図々しい提案をした。

感想・気づき

 創世記第14章で出てくるカナンの地を侵略する4人の王たちの名前は全て非へブル系で、バビロニアペルシャの王たちということらしい。こういう箇所は歴史的・考古学的にどこまでわかっているのかが気になる。調べてみるのは非常に面白そうだ。

 アブラムと盟約を結んでいたエモリ人マムレ、エシュコル、アネルはアブラムの神を信じていた可能性が高い。偶像崇拝の民とアブラムが接触を持ち、盟約まで結ぶことは考えにくいからだ。カナン人の中にも真の神を信じている人達がいたということだろう。カナン人も皆ノアの子孫な訳だから、信仰が受け継がれていたケースもあったのだろう。

 また、メルキゼデクはシャレムの王であり、「いと高き神の祭司」でもあった。こうの王もまた、偶像ではなく真の神を信じていいたのだろう。アブラムの一家以外にも一定数の人々がこの神を信じていたのだ。

 祭司は神と人との間に立つ人間であるが、彼は神に代わって「祝福を受けよ。アブラム(創14:19)」とアブラムを祝福し、アブラムに代わって「いと高き神に、誉れあれ(創14:20)」と神を称えている。これが祭司の役割である。

 このメルキゼデクは、メシアの型である。彼は王であり祭司だったが、これはレビ的祭司ではあり得ないことだった。例えば、サウル王はこのルールを破って、サムエルの代わりに全焼の生贄を捧げたので呪われてしまった。しかし、メルキゼデク的祭司ではこれは可能である。メシアであるイエスは王であり大祭司だった。へブル6:20~7:28でレビ的祭司から祭司制度が変わりメルキゼデク的祭司のキリストは着かれたことが説明されている。

 

 メルキゼデクに対して、ソドムの王はアブラムに「人々は私に返し、財産はあなたが取ってください(創14:20)」と提案したが、これは当時の慣習から言うと、非常に常識のない図々しい提案だったようだ。当時の法律では、戦争で取られたものを取り返した場合、取り返した人、今回の場合はアブラムに全て所有権があり、ソドムの王に何か許可を得る必要は全くなかったのだ。

 こういう文化的背景も、聖書だけ読んでいては絶対にわからないし、メルキゼデクとソドムの王の言動が対比されているのも、よくわからない。古代の歴史や文化についての興味が俄然湧いてくる。