【感想】神の国と悪魔の国(パートⅠ.葛藤の舞台設定3章 原福音)

 聖書の言葉をあなたへ ハーベスト・タイム・ミニストリーズというサイトで無料で聞くことができるキリスト教のメッセージの要約や感想を書いています。
 今回のメッセージはここで聞けます(2021年11月9日)→

©️ハーベスト・タイム・ミニストリーズ
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これまでの話

 このシリーズでは、「神の国と悪魔の国の葛藤」というテーマを軸に、聖書を読み解く。このテーマは、聖書の歴史哲学の中心である。

 悪魔は、自身も神のようになり、自分の国を造ろうとした。そのために、天使の一部と人間とを堕落させ、天と地上の領域とを支配するようになった。堕落した人間は、今やサタンの目的に従って利用されるだけの存在になってしまった。

 神はこの状況に対して、直ちにサタンを滅ぼすこともできたが、その場合、堕落した人間もろとも滅ぼすことになるので、そうはせず、人間を救う計画を立てておられた。原福音においてその福音の原型が啓示される。

今回のメッセージを要約すると

  • 神は創造主で悪魔は被造物であり、神が圧倒的に優位に立っているので、両者は二元論的な対等な関係ではない。
  • 神の国と悪魔の国の葛藤」は千年王国の成就の時点で終わり、呪われた全てのものがエデンの園の状態に回復される。
  • 原福音において、この葛藤は「おまえ(=サタン)の子孫」と「女の子孫」との間の敵意として宣告され、同時にメシアによる救いも啓示された。

感想・気づき

 「神はなぜそうされたのか?」という問いは、この世で生きている間は答えがでない気がする。アダムの堕落に際して、神が悪魔を直ちに滅ぼしたとしたら、堕落した人間も共に滅ぼすことになるから、そうはしなかったという解説も、事実の叙述として信じる分には、「そうなのか」と受け入れることは可能だが、「なぜそれを選択したのか?」また、「なぜ、悪魔だけ滅ぼすことができないのか?」という疑問は解決されない。

 基本的には、聖書に啓示されているような神が存在するんだ、ということを信じて、その上で聖書を歴史的・文化的背景を基に解釈して導き出されることは、そのまま理解し受け入れる、ということになるのだろう。神の御性質や聖書全体の構造といったことが、正直言ってまだよくわからないので、今回のメッセージはなかなか難しかった。

 

 神の国と悪魔の国の葛藤が、最終的には神の勝利の内に終わり、全てのものが呪いから回復する。被造物については、アダムが堕落する前のエデンの園の状態に回復される。また、人間については、霊的死と肉体的死との両方から復活する。

 霊的死からの復活は、断絶されていた神との関係が回復し、聖霊の内住によって神を愛し、慕い求める性質が与えられるということ。また、肉体的死からの復活は文字通り、千年王国において、死んでいても復活するということだ。イエス・キリストの復活は信者の復活の「初穂」であり、保証であるというのはこのことである。

 肉体的復活も保証されているなら、残りの人生でやりたいことを全てするのは難しいとか、到底時間が足りないとか、そういった悩みはなくなる。日々その日にできる範囲のことを誠心誠意やっていく。一歩ずつでいいので、進んでいく。こう考えることができるので、精神衛生上、非常に良いと思う。

 

 今回のメッセージの後半で、ダニエル書9:26~27の預言について解説されていたが、旧約預言の読み解き方は難しい。解説を聞いてなんとなくはそういうことかと思うものの、よくわからない。時系列がかなり錯綜しているし、原文のニュアンスもわからないので、かなり専門的な内容になるのだろう。