【感想】創世記(22)—カナンの地からエジプトへ—

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 今回のメッセージはここで聞けます(2008年11月17日)→

©️ハーベスト・タイム・ミニストリーズ
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 今回は創世記12:4~20までです。

ここまでの文脈

 創世記には11の区分(トルドット)がある。創世記11:27~25:11は第6の区分「テラの歴史」にあたる。「テラの歴史」とは、「テラの息子たちがその後どうなったか」という意味である。

今回の聖書箇所を要約すると

  • アブラムは信仰により、カナンの地を行き巡る。
  • アブラムは信仰の未熟さのゆえに、飢饉が起きた際に、エジプトへと下り、妻のサライがパロに召し入れられてしまう。
  • 神の介入により、サライはアブラムのもとへ帰ってくるが、この事件はサタンによるアブラハム契約への攻撃であった。

感想・気づき

 アブラムが「シェケムの場、モレの樫の木のところ」に着いたところで、神は「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える」とアブラムに語った。

 これは異邦人の町シェケムの郊外で、「モレの樫の木」は、カナン宗教の聖木であり、カナン人の宗教の中心地だった。「モレ」はげブル語で「教師」、「占い師」などを意味する。

 ここにアブラムは祭壇を築いたが、これは、アブラムの神が、カナン人の偶像神よりも優れていることの宣言でもある。また、カナンの地は、神からアブラムにその所有権が約束されたが、先住民がおり、彼らは偶像崇拝者で道徳的に堕落していたので、アブラムは町の郊外に身を置き、彼らの影響を受けないようにした。

 その後も、アブラムはベテルでも町から離れた場所に天幕を張り、さらに人口の少ないネゲブへと進んでいく。カンナの地を行き巡ることで、アブラムはその地の所有権を主張していた。しかし、カナン人とは接触せず、対話も対立もないように、町々の周辺を移動していた。これらの行動は全て神の約束を信じてのことだ。「信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束を共に相続するイサクやヤコブとともに天幕生活を(へブル11:9)」したのだ。

 この辺りの、アブラムの信仰と行動との関係は、解説を聞いて、なるほどなぁと思った。今までは特に何も考えずに読んでいたので、この短い記録の中にもアブラムの心情や信仰が表れているのがわかった。

 

 その後、ネゲブで飢饉にあったアブラムは、エジプトへ下る決心をする。当時は飢饉が起きると、食料が豊富なエジプトへ行くというのはよくあったことらしい。

 この時に、アブラムが恐れて、サライを妻ではなく妹として装うが、当時のエジプト人は他人の妻を略奪することで悪名が高かったらしい。だから、アブラムの恐れももっともなものだったのだ。この当時のエジプト人の性質は、初めて知ったが驚いた。こういう古代の歴史の知識も聖書の読解には必須だなと改めて思う。

 また、当時の習慣では、父が死んだ後は兄が妹の保護者となり、もし他の男性から結婚の申し込みがあれば、保護者である兄に花嫁料の交渉権があった。だから、アブラムはエジプト人からサライに結婚の申し込みがあった場合、花嫁料の交渉を長引かせて、その間に逃亡することを考えていたのだ。しかし、アブラムの予想してなかったパロからの申し入れがあったので、交渉などなしにサライはハーレムに召し入れられたのだ。

 サライがパロの妻となれば、アブラムの家系は途絶え、メシアが生まれてこなくなる。これは、サタンがアブラハム契約に対して攻撃をしかけ、それに対して神が介入したと解釈できる。現在継続中のハーベスト・メッセージ・ステーションの別のシリーズの「神の国と悪魔の国」で解説されている、「神の国と悪魔の国の葛藤」というテーマがここで見えてくるようだ。