【感想】創世記(23)—ロトとの分離—

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 今回は創世記13:1~18までです。

ここまでの文脈

 創世記11:27~25:11は、第6の区分「テラの歴史」にあたる。これはテラの息子のアブラハムがどうなったか、という物語である。

 前回は、飢饉に際してエジプトに下ったアブラムの話を取り上げた。

今回の聖書箇所を要約すると

  • カナンの地に戻ってきたアブラム一行は、所有する家畜や奴隷が非常に多くなり、アブラムの家畜の牧者たちと同行していた甥のロトの家畜の牧者たちが争うようになった。
  • アブラムは争いを避けるため、ロトと別れることを決断し、ロトはヨルダンの低地で住むことを選んだ。
  • 神はアブラムと改めてアブラハム契約の土地の条項を確認し、カナンの地の全土を縦横に歩き回るように命令する。

感想・気づき

 創世記を読むにも、登場人物の心情を想像力を働かして読み込まないといけないし、前後の関連をよく意識しないといけないなと思った。字面だけ追って読んでいたことを痛感した。

 今回の箇所でも、アブラムのエジプトでの失敗からの信仰への立ち返りや、ロトとの対比が描かれているし、「立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから(創13:17)」という聖句は、創世記12:8~9でエジプトに下る前のアブラムがカナンの地を南北に縦断していることと関連付けて読むことができる。今までこういったことは考えもしないで読んでいた。

 

 アブラムは創世記12:7で神のことばを聞いた後は、信仰を持ってカナンの地を北から南へと移動していった。創世記13:17の神の言葉から考えると、これは預言的行為であり、まだこの地にはカナン人たちが住んでおり、アブラムの所有にはなっていないが、所有権は確かに神から約束されている、ということを表現している行為だ。それが飢饉にあって、現実的な不安から神への信頼から外れてエジプトに下り、失敗を経験して、改めて信仰を取り戻し、カナンの地を再び行き巡るようになった。

 こう読むと、アブラムの心情の揺れ動きや、信仰の浮き沈みが読み取れる。創世記の物語が生き生きとしたものとして感じられる。簡潔な表現が多く、直接的な心理描写がほとんどないが、登場人物の行動や、人物間の行動の対比によって、心理を描いているのだなと感じた。

 

 また、エジプトでの失敗にもかかわらず、アブラムはエジプトの王・パロから家畜と奴隷を手に入れて、カナンの地に戻ってから、それらはどんどんと増えていった。これはアブラムが神への信頼を取り戻したので、アブラハム契約の祝福の条項が働き始めたことを示している。こういったところからもアブラムの信仰や心理状態を読み取ることができる。

 所有物が増えすぎたせいで、ロトとは決別することになるが、この時ロトは自ら「目を上げてヨルダンの低地全体を見渡(創14:10)」し、その土地を選んだ。ロトは「低地の町々に住んで、ソドムの近くまで天幕を張った(創14:12)」。ロトは肉の目で、自らの欲望に従って、肥沃な土地があり、都市のある場所を選んだ。その後ロトは異教の都市文化に染まっていってしまう。

 一方のアブラムは、「さあ、目を上げて(創14:14)」と神から命令されて初めて目を上げる。これはロトが自ら目あげたのと対比されている。アブラムは神への信仰を選んだ。それゆえ、神はアブラハム契約の土地の条項を再確認してアブラムに語る。

 この辺りの対比も面白い。「目の上げ方」の対比によって、人間の判断と神に頼る判断とが対比されている。その後のアブラムとロトに起きる出来事を比べると、その始まりが、今回の箇所での判断に由来しているし、この対比によって既に将来のことが暗示されている。