【感想】創世記(7)—人類の堕落—

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 今回のメッセージはここで聞けます(2008年7月21日)→

©️ハーベスト・タイム・ミニストリーズ
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 今回は創世記3:1~3:13までです。

ここまでの文脈

 創世記1:1~2:3までが、創世記全体のイントロダクションになっている。また、創世記は11の「トルドット」に分かれる。「トルドット」は、ヘブライ語で家系、系図、子孫、歴史などを意味する言葉。創世記2:4で「これは天と地が創造されたときの経緯である」とあるが、これは「天と地が創造されたあとどうなったか」がこの節以降、描かれることを意味している。

 創世記の記事は、神話や伝承ではなく、歴史的事実として読むことが重要である。

今回のメッセージを要約すると

  • サタンの誘惑により、アダム、エバ共に知恵の実を食べてしまい、堕落する。
  • 堕落の結果、罪を犯すことで善悪を知り、恥の感覚を持つようになる。
  • 神との正常な関係が断絶し、二人は罪について、自らの責任を過小評価し、誰かに責任転嫁するようになる。

感想・気づき

 エバの堕落は、蛇に誘惑されて、「助け手」としての役割を放棄して、自ら新しいことを始める役割を果たした、という点にある。また、そのとき「いっしょにいた(創世記3:6)」アダムは、頭としての役目を果たさず、罪の行為に同意した点にある。

 エバは蛇に欺かれたが、アダムは知っていたにも関わらずエデン契約を破った。これは反逆の罪である。それゆえ、エバよりもアダムの責任の方が重い。また、アダムは人類を代表しているので、その影響は全人類に及ぶ。

 エバの方が悪者にされがちな場面だが、確かにアダムも「いっしょにいた」と聖書に書いてある! 直接神から契約内容を聞いていたのはアダムだったので、その場でエバを止めればよかったのに、そうはしなかった。挙句に、神に対して「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので(創世記3:13)」と、神とエバとに自分の罪の責任転嫁をしてしまう。この性質は堕落の結果生じたものだと解説されていたが、何とも身につまされる。色々、過去に思い当たることがたくさんある。確かにアダムから遺伝的に受け継いでいるんだなと思う。

 

 蛇はヘブライ語で「ナハシュ」、青銅は「ナホシェット」。民数記21:9でモーセが掲げた青銅の蛇を「ナハシュ・ナホシェット」という。どちらも、「光を放っている」という同じ語源を持っている。また、この青銅の蛇が後に偶像化したものを「ネフシュタン」と呼ぶ。この辺りの解説を聞いていると、ヘブライ語を理解したいと強く思ってします。

 また、蛇はこの語源から、輝きを持った生物であったことが暗示されている。地を這うようになるのは、創世記3:14で神に宣告を受けてからなので、それまでは足も生えており、非常に美しい生物だったということらしい。

 

 堕落によって神との関係が断絶し、そのため神の前にあるのままの姿で立つことができなくなった。無垢な性質を失い、欲望を持つようになった。「肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たもの(Ⅰヨハネ2:16)」つまりはこれらは「罪」の源なのだが、エバが知恵の実を見た時それは「食べるのに良く、目に慕わしく、・・・いかにも好ましかった(創世記3:6)」。Ⅰヨハネでいう3種類の欲に対応しており、アダムの堕落の際にこれらのものは出てきたと言えるのだろう。

 無垢な状態から、これらの欲に絡めとられていく様は、何とも醜く悲しい。神の声に恐れ、神から隠れられるわけもないのに、姿を隠そうとする。神から問われると、自分の罪の責任を過小評価し、言い逃れようとする。全て私たちの姿そのものだ。このメッセージを聞いていると、人類の罪のルーツはここにある、というのは本当にその通りだなぁと思う。そして、自分の汚い内面を見ているようで、ため息が出る。