【感想】創世記(9)—カインとアベル—

 聖書の言葉をあなたへ ハーベスト・タイム・ミニストリーズというサイトで無料で聞くことができる、聖書の講解メッセージの感想を書いています。
 今回のメッセージはここで聞けます(2008年8月4日)→

©️ハーベスト・タイム・ミニストリーズ
message-station.net

 このメッセージのアウトラインはこちら

 今回は創世記4:1~17までです。

ここまでの文脈

 創世記には11の区分(トルドット)がある。

 第1のトルドットの内容は:①アダムの創造、②エデン契約、③エバの創造、④堕落、⑤アダム契約(無条件契約)、⑥エデンの園からの追放、⑦カインとアベル、⑧カインの子孫(神から離れて歩む人々)、⑨セツの子孫(神への信仰を持つ人々)、と続く。今回は、⑦カインとアベルについて。

今回のメッセージを要約すると

  • カインが誕生し、アダムとエバは「女の子孫」を得たと思い喜ぶが、アベルが生まれる頃には、それが思い違いであったと失望し、落胆する。
  • カインはアベルを殺し、神の問いかけに対して嘘をつく。
  • 神の裁きに対して、カインは自己憐憫に走り、神から分離して町を建設し、自力で自分を守るようになる。

感想・気づき

 アベルヘブライ語では、「ハベル」といい、「はかなさ、むなしさ、空虚、息」などを意味する。これは、先に生まれた兄のカインが、創世記3:15で神から聞いていた「女の子孫」であると喜んでいたが、長じるにつれ、思い違いであったことがはっきりとしてきたので失望した。その感情を弟のアベルに名付けたということだ。この時点で、カインの罪の性質は親の目にもはっきりとわかる状態だったということだ。

 「私は、主によってひとりの男子を得た(創4:1)」は、直訳すると、「私は、男子(人)を得た、ヤハウェ(主)を」となるそうだ。これはエバが創世記3:15で神が語られた「女の子孫」を念頭に置いて発言している。実際に「女の子孫」が生まれるのは数千年後のイエス・キリストを待たなければいけないが、この時点でエバはそんなことは知る由もなかった。

 

 また、当時はすでに定期的な神への捧げ物の時期が決まっていたようだ。カインとアベルも何度も捧げており、それまではカインも毎回、羊か山羊をアベルから買って神に捧げていたと推測される。それにも関わらず、創世記第4章で、カインは初めて「地の作物」を神に捧げた。これはアベルに対する支払いを惜しんで、神への義務感から信仰の伴わない「宗教的行為」をした、ということだ。

 だから、神はカインの捧げものを拒否した。「正しく行ったのであれば、受け入れられる(創4:7)」からだ。カインは神の示す道を否定し、自分の道を進もうとした。これがカインの罪となった。

 

 この2点についての解釈を聞いていると、俄然このストーリーに深みが増してくる。カインはなぜ神から拒否されたのかよくわかったし、実はその前からアダムとエバはカインに対して失望していた。文学としても非常に面白い。

 アダムとエバはカインに対してだけではなく、自分たちの人生に対しても落胆していたのだろう。エデンの園から追放され、「顔に汗を流して糧を得(創4:19)」、「苦しんで子を産み(創4:16)」、必死に生きてきた。しかし、「女の子孫」は与えられず、将来は「ちりに帰らなけらばならない(創4:19)」。しかも、長男のカインは自分たちよりも俗悪である。

 

 また、カインが神から裁かれるときの反応と、アダムのそれとを対比すると、カインがアダムよりもいかに「罪」の性質にどっぷりとつかってしまっているかがわかる。カインは神からアベルはどこかと聞かれたとき、「知りません」と噓をついた。アダムは神から問われた際に、神とエバとに責任転嫁したが、嘘はつかなかった。さらに、カインが土地から追放される際、カインは「私の咎は、大きすぎて、にないきれません。ああ、あなたはきょう私をこの土地から追い出されたので(創4:14)」と、神に対して文句を垂れたが、アダムは何も言わずエデンの園から去った。

 このカインの性質をもってしても、アダムとエバがいかにカインに失望していたか、想像に難くない。そして、罪を犯し、嘘をつき、問題から逃げて自力でなんとか取り繕おうとするというのは、現在の人類の基本的な性質でもあるような気がする。まさにカインから脈々と受け継がれてきた性質なのだろう。