【感想】創世記(5)—第7日目と第1番目のトルドット—

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 今回のメッセージはここで聞けます(2008年7月7日)→

©️ハーベスト・タイム・ミニストリーズ
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 今回は創世記2:1~2:4aまでです。

ここまでの文脈

 天地創造の後、サタンの堕落により、天地はカオス(トーフー・ワ・ボーフー)状態となった。

 創造の六日間はカオスからの修復の業だった。そして、第1日目から第3日目までと、第4日目から第6日目までとがそれぞれ対応している。

今回のメッセージを要約すると

  • 神は創造の7日目に安息された。この時点では、被造物は罪もなく、全て完璧な状態だった。
  • 創世記2:4以降は、11の「トルドット」と呼ばれる文書をもとに構成されている。第1のトルドットは創世記2:4~4:26まで。
  • 「トルドット」はヘブライ語で、「家系、系図、子孫、歴史」などを意味する言葉で、「そのことが、その後どうなったのか」ということを表す。

感想・気づき

 創世記2:1の時点では、「全ての被造物は、完璧な状態だった。」と解説されていた。そして、完璧だったのが、アダムの堕落によって再びカオスへと戻ってしまう。なんとも皮肉な感じがする。

 話は少し違いますが、カトリックにしても、プロテスタントにしても、国家の後ろ盾を持ってしばらくすると、教会としての堕落と腐敗とが始まったように思います。アダムも「地を従えよ」と全世界の管理権限を神から委任されて少し経つと、初めの緊張感が緩んで知恵の実を食べてしまった。権力を持つと堕落するというのは、アダム以来の全ての人間の性質なのだろう。

 

 7日目に神が安息されたが、これがクリスチャンの経験する「心の平安」の予表であり、終末的な概念である「神の安息」の予表でもあるとのこと。この終末的な「神の安息」の意味は、今回のメッセージでは詳しく解説されていないので、明確な意味はわからないが、恐らく、黙示録第21章以降で描かれている、サタンの罪と呪いから完全に回復された世界における心の平安のことだと思われる。そう考えると、クリスチャンの「心の平安」というのもむしろ、終末的「神の安息」の予表と捉えられるのではないだろうか。

 全ての被造物が完璧な状態で、そんな世界で平安に暮らすことができるというのは、一体どういう心地なのだろうか。周りだけではなく、自分自身についても罪と呪いから完全に回復された状態になっているということだろうから、現在の自分自身を省みると全く想像できない。

 

 「トルドット」というヘブライ語が創世記のキーワードと言えそうだ。かなり意味に広がりのある言葉なので、日本語に訳出する際は、「経緯」、「歴史の記録」、「歴史」、「系図」などと訳されている。だから、これも原語についての注釈がなければよくわからない。この「トルドット」にあたる言葉が出てくると、その節から新しい話になっているということだ。

 モーセが創世記を書いた時点で、様々な「トルドット」が、色々な家系に伝わって残っていたと思われ、その中から信頼できるものをモーセがピックアップした。文書で伝わっているものもあれば、口伝のものもあったのだろう。