【感想】30日でわかる聖書 マタイの福音書(18)

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 今回のメッセージはここで聞けます(2008年2月11日)→

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 今回はマタイの福音書17:24~18:35です。

ここまでの文脈

 イエスの公生涯の最後の一年に差し掛かっており、イエスの心は十字架へと向かう途上にある。そして、十字架以後の時代を見据えて、弟子訓練に注力している。

 

 イエスの生きていた時代は、モーセの律法がまだ有効であった「律法の時代」である。イエスの十字架の死と復活以降に、現在の「恵みの時代」に変わる。

 しかし、弟子たちはすぐにでも天の御国=「メシア的王国」が到来すると勘違いしている。だから、イエスの教えと弟子たちの理解に食い違ってしまう。

 今回のイエスの教えは、「恵みの時代」つまり現在の教会時代を想定した教えであり、成長したクリスチャンになるための秘訣を教えいている。

今回のメッセージを要約すると

  • 子どもが親に全幅の信頼を置き自分を低くするように、神を信仰しプライドを持たないような者が天の御国では評価される。
  • 罪を犯した教会の兄弟に対しては、イエスの指示する4つのステップに沿って、愛をもって対処する。
  • しかし、イエスを信じた者は神から全ての罪を赦されたのだから、他人が自分に対して罪を犯した時は何度でも赦すべきだ。

感想・気づき

 ペテロが「何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」とややドヤりながらイエスに尋ね、「七度を七十倍するまでです。」とたしなめられる場面が相変わらずペテロらしくて面白かった。こういうおごり、自信過剰は自分にも思い当たるところが多々あり、自分の恥部を見せられているようで反省してしまう。

 12弟子のリーダー格のペテロですらもとても人間臭く、全く聖人君主からはかけ離れているところが福音書の面白さだし、リアリティーだと思う。読者である私たちと同じ生身の人間の記録なんだと感じる。

 

 今回の3つの教え、プライドの問題、自分に対する罪への対処方法、赦しの問題は全て私には耳が痛く、実践できていないと痛感する。今回のメッセージの内容はこれから祈り求めていくことだなと。

 

 今回もまた前後の文脈で聖書を解釈することの面白さを感じた。

 マタイ17:1~8でペテロ、ヤコブヨハネの三人がイエスの変貌を目撃し、マタイ17:24~27ではペテロだけが宮の納入金を魚の口から見つけるという体験をする。このように、12弟子の中でイエスからの扱いに差があるように感じられたところで、「誰が一番偉いのか」と弟子たちが論じ合う。そこでイエスは子どもが一番偉いと教える。

 また、「まことに、あなたがたにもう一度告げます。もし、あなたがたのうち二人が、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。二人でも三人でも、私の名において集まる所には、私もその中にいるからです。(マタイ18:19~20)」と語られているが、これはマタイ18:15~17で教えている、罪を犯した兄弟への対処方法がイエスによって承認されていることの説明だ。直前のマタイ18:18で「つなぐ」権威と「解く」権威のことが語られており、これらが当時のラビ用語で「有罪の宣告」と「無罪の宣告」のことを意味しており、この節を受けて「あながたにもう一度告げます(マタイ18:19)」と言っているので、ラビ用語の意味がわかるとこれは明らかだ。

 以上の2つの話は文脈がわかると本当にとても面白いエピソードだと感じる。また、「つなぐ」、「解く」は前後を無視して突然悪霊との戦いのことを話題にしているのではないこともはっきりしてくる。