【感想】30日でわかる聖書 マタイの福音書(26前半)

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 今回のメッセージはここで聞けます(2008年4月21日)→

©️ハーベスト・タイム・ミニストリーズ
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 今回はマタイの福音書26:1~26:29までです。

ここまでの文脈

 マタイの福音書第24章、第25章でオリーブ山での説教が終わる。

 第26章以降は、いよいよイエスが十字架へと向かっていく。

 福音書の時代は、まだモーセの律法が有効な時代であった。マタイの福音書第26章から教会が始まる使徒の行い第2章までの間は、この律法の時代から恵みの時代への移行期に当たる。

 恵みの時代はイエスの十字架による罪の贖いが有効となった時代である。

今回のメッセージを要約すると

  • エスは4回目の受難の預言をするが、弟子たちはいまだにイエスの受難が理解できない一方で、ベタニアのマリア(「ひとりの女」)はイエスの死と復活を理解していた。
  • サドカイ人とパリサイ人とは共謀して、過越の祭りのあとにイエスを殺すため、イスカリオテのユダと銀貨30枚で取引する。
  • エスは弟子たちと過越の食事(最後の晩餐)を取り、「新しい契約」の話をする。

感想・気づき

 過越の食事の解説が非常に面白く、特にアフィコーメンと呼ばれる儀式に関する解説は驚きだ。アフィコーメンは父、子、聖霊の三位一体の神を表し、イエスの十字架の死と復活を象徴している。そして、この儀式はバビロン捕囚以降にユダヤ人の習慣となったが、メシアニック・ジュー以外のユダヤ人はその意味をわからないまま現在も続けているというのだ。

 アフィコーメンの儀式は、まず3つの部分に分かれた布袋に、3枚の種無しパンを入れる。真ん中のパンを取り出し、2つに裂いて半分を亜麻布にくるんで隠す。そして、メインコースを食べた後で、それを取り出して食べる。

 3つの種無しパンは、父、子、聖霊の三位一体の神を表している。真ん中のパンは子なる神であり、イエスのことである。取り出して半分に裂くのは十字架での死を、亜麻布にくるんで隠すのは埋葬を象徴している。そして、あとで取り出して食べるのは、イエスの復活とそれに伴う十字架の恵みとを象徴している。

 これらのことがユダヤ人の間で、過越の祭りの食事での慣習として続けられているのは本当に驚きだ。

 

 弟子たちは4度目の受難の預言を聞くも、全く理解できない。イエスが復活して初めて弟子たちはイエスが預言していたことを理解する訳だが、こうもわからないものかと思ってしまう。しかし、これは自分でも気づいていないが、同じようなことが自分にも起きているんだろうな。お前はどれほど聖書を理解しているのかと問われると、全くもって心許ない。

 

 当時の過越の祭りが行われている期間のエルサレムの状況についても簡単に解説があったが、これも面白かった。祭りの期間は、大勢のユダヤ人がエルサレムを訪れるため、城壁の外でテントを張って過ごす人もたくさんいたそうだ。そんな中で、過越の食事を誰かの家の中で取れるのはごく限られた人にしかできないことで、「二階に大広間のある家」というのはエルサレムの中でも豪華な家だということだ。

 この解説から、イエスの最後の1週間のエルサレムの雰囲気が伝わってきた。祭りのために人でごった返すエルサレムの旧市街、そんな中でイエスの十字架での磔刑は衆人の注目を集めたことだろう。だから、イエスが十字架上で死んだ時に起きた天変地異についても多くの目撃者がいたはずだ。作り話を書いたら、目撃者たちからの批判を浴びることは容易に想像できる。こういうディティールから、福音書の信頼性の高さを感じ取ることができた。