【感想】30日でわかる聖書 マタイの福音書(26後半)

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 今回のメッセージはここで聞けます(2008年4月28日)→

©️ハーベスト・タイム・ミニストリーズ
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 今回はマタイの福音書26:30~26:75までです。

ここまでの文脈

 マタイの福音書第26章以降は律法の時代から恵みの時代への移行期にあたる。この「時代」のことを神学用語で「ディスペンセーション」と言う。

 各ディスペンセーションには、土台となる契約があり、律法の時代は「モーセ契約」、恵みの時代は「新しい契約」がそれにあたる。「新しい契約」はイエスが十字架で死ぬことによって結ばれる。また、イエスの死が契約の締結で有効になるためには、過越の祭りの期間に死ぬことと、十字架に架かって死ぬことが条件になる。

 サドカイ人とパリサイ人は過越の祭りが終わってからイエスを殺そうと考えていた。しかし、過越の食事(最後の晩餐)で、ユダは自分の裏切りをイエスがすでに知っていることに気が付いたため、急いでイエスを捕らえるように手はずを整えた。

今回のメッセージを要約すると

  • 過越の食事のあと、イエスは自身が捕らえられると弟子たちは全員逃げてしまうことと、死んで蘇ったらガリラヤに行くことを預言するが、弟子たちは理解できず、何があってもついていくと応答する。
  • エスゲッセマネで祈る。この段階で、十字架の死は肉体的な死だけではなく、父なる神からの断絶を意味する霊的死をも伴うものだと悟る。
  • エスは宗教裁判にかけられ、ユダヤの律法に違反した裁判であるにも関わらず有罪宣告される。その直後、ペテロは三度イエスを知らないと言う。

感想・気づき

 イエスが大祭司カヤパの官邸で宗教裁判を受ける経緯と、この裁判がユダヤ教の律法に違反したものだったという解説が非常に面白かった。なぜカヤパの官邸なのか、偽証人がたくさん出てきたのかなどがよく理解できた。

 当時のユダヤ人はローマの支配下にあり、死刑執行権はユダヤ人には認められていなかった。だから、イエスユダヤ議会(サンヘドリン)による宗教裁判で冒とく罪を立証したうえで、ローマによる裁判によって反逆罪を立証して死刑にしてもらう必要があった。

 元々は、過越の祭りの後でイエスを殺そうとしていたところ、イスカリオテのユダからの報告により、急いでイエスを捕まえ裁判をする必要が出てきた。だから、十分は準備が整わないまま、裁判を開くことになった。

 宗教裁判は神殿の一室で夜明け以降に行われる、また、全会一致の決定は無効とされる。どちらもユダヤの律法で定められていることだが、イエスの宗教裁判はどちらもこれらの律法に違反している。これは急いで準備が不十分であったことと、事前工作があったと考えられるからだ。

 

 その裁判の判決後にペテロがイエスを三回知らないと言うが、これは我が身のこととして考えると、ペテロに同情してしまう。三回イエスを知らないと言うたびに徐々に、否定の度合いが強くなり、最後はイエスを呪って知らないことを誓う。そして、イエスはペテロの方を振り向き、ペテロはその場から逃げ出して号泣する。

 イエスは初めから、ペテロの行動を預言しわかっていた上で、ペテロのことをすでに赦していた。ペテロは号泣して悔い改めて、のちには十二弟子のリーダーとして活躍した。イエスの愛と赦しがあったから、立ち直ることができたのだろう。

 

 イエスゲッセマネの園で神に「盃を過ぎさらしてください」と祈ったのは、十字架上での肉体的な死のことではなかった。イエスは十字架で死ぬ際には肉体的死だけではなく霊的死も伴う、すなわち父なる神からも断絶されることを知り、それについて祈り求めた。

 聖書を知る前の自分のことを思い出すと、神を知らず、まさに暗黒の状態だった。あの状態には戻りたくない。イエスは世界の創造の前から三位一体の神であった訳だから、父なる神との断絶は想像を絶することだったのだろう。