【感想】30日でわかる聖書 マタイの福音書(27後半)
聖書の言葉をあなたへ ハーベスト・タイム・ミニストリーズというサイトで無料で聞くことができる、聖書の講解メッセージの感想を書いています。
今回のメッセージはここで聞けます(2008年5月12日)→
©️ハーベスト・タイム・ミニストリーズ
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このメッセージのアウトラインはこちら。
今回はマタイの福音書27:27~27:54までです。
ここまでの文脈
イエスの裁判は、ユダヤ人による宗教裁判と、ローマ総督による政治的裁判との二段階で行われた。そして、ローマ総督のピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打ってから十字架につけさせた。
ニサンの月の15日(金)午後3時にイエスは息を引き取る。
今回のメッセージを要約すると
- イエスはゴルゴダへ連れていかれた後、十字架に架けられ、9時から12時の間、人々から罵られた。
- 12時から3時の間、全地が暗くなり、イエスは霊的な死(=父なる神との断絶)を経験するが、最後はこの断絶が解消され(=霊的復活)た後、肉体的に死ぬ。
- キリストを信じる者は、キリストと共に死に、キリスト共に復活する。
感想・気づき
イエスが十字架上で、霊的死と復活とを経験しているというのは驚きだった。肉体の死と復活は霊的復活のあとに起きたことだったんだ。
イエスは父なる神に対して、それまでは常に「父」とか「わたしの父」と呼び掛けていたのに、マタイ27:46では唯一「わが神」と呼び掛けている。これは、イエスの父なる神との関係が断絶されたことを示している。完全に私たちと同じ罪人の状態になったということだ。
そして、イエスの肉体的死の直前に、「父よ(ルカ23:46)」と叫びます。これは息を引き取る前に、イエスと父なる神との関係が回復した、つまり霊的には復活したということだ。
イエスは午前九時ごろに十字架につけられたとされていますが、丁度その時間は神殿では、祭司たちが過越の食事のために子羊をほふっていた。祭司以外のユダヤ人は木曜の夜に過越の食事を取るが、祭司たちは金曜の朝に過越を取ると決められていたからです。これは何とも言えない皮肉な対比だと思う。
また、イエスがピラトの官邸からゴルゴダまでヴィア・ドロローサ( ヴィア・ドロローサ - Wikipedia) を歩いた際の、イエスの身体の状態についての解説も興味深いものだった。
イエスは既にローマの鞭で打たれていたので、出血多量の状態だった。意識朦朧の状態で、十字架の横木を負わされ、刑場までのおよそ700mの上り坂を歩いて行った。
途中で、クレネ人のシモンが、イエスの負っている十字架を背負わされたが、この場所はヴィア・ドロローサの第5ステーションにあたり、ここから急勾配になる。そのため、イエスに残された体力では十字架を運べないとローマ兵が判断したのだ。
こういうデティールがわかると、聖書を読んでいて臨場感が高まるし、情景が想像できて非常に良い。エルサレムの旧市街も訪れたことがあるので、ありありと思い描くことができる。