【感想】30日でわかる聖書 マタイの福音書(27前半)
聖書の言葉をあなたへ ハーベスト・タイム・ミニストリーズというサイトで無料で聞くことができる、聖書の講解メッセージの感想を書いています。
今回のメッセージはここで聞けます(2008年5月4日)→
©️ハーベスト・タイム・ミニストリーズ
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このメッセージのアウトラインはこちら。
今回はマタイの福音書27:1~27:26までです。
ここまでの文脈
イエスはユダヤ議会(サンヘドリン)とローマの兵士に捕らえられ、宗教裁判を受けた。当時、サンヘドリンには死刑執行権がなかったので、ローマによる裁判にも訴えて、イエスを死刑にしようとユダヤ人たちは考えていた。
イエスの死は新しい契約の締結のために必要だが、そのためには、過越の祭りの期間に死ぬことと、十字架に架かって死ぬこととが条件である。
今回のメッセージを要約すると
- 金銭に対する貪欲で裏切ったイスカリオテのユダ、自己義認に走ったユダヤ人の指導者達、保身のために正義を曲げたローマ総督ピラト、彼らの性質は全ての人に多かれ少なかれあるものだ。
- バラバは理由なくイエスが身代わりとなって救われる。現代のクリスチャンはバラバと同じ立場にある。
- イエスは神の摂理の働きのより、ユダヤ人による石打刑ではなく、ローマの十字架刑に処せられることとなった。
感想・気づき
夜明けに再度協議した理由が、形だけでも口伝律法に合わせようとしたためというのが人間臭い悪あがきだなという感じがした。ルカ22:66~71にはその様子が詳しく描写されている。口伝律法では、裁判は神殿の決められた場所で行われることになっているし、夜明け前の裁判は無効であるとされていた。だから、夜が明けてから神殿内のユダヤ議会(サンヘドリン)に連れて行って、形式だけの裁判を再度行った。口伝律法の知識がないとよくわからない箇所だが、非常に腑に落ちた。
また、当時のサンヘドリンは死刑執行権がローマから剥奪されていた。だから、イエスをローマの裁判にもかけて、反逆罪や騒擾罪などで死刑にしてもらう必要があった。この死刑執行権の剥奪は、イエスの裁判の数か月前になされたことだった。もし、サンヘドリンの宗教裁判で死刑が執行された場合、石打刑が通常だったので、十字架で死ぬということは叶わなかったのだ。
ものすごい絶妙なタイミングでイエスは裁判にかけられたということだ。こういう話を聞くと、歴史に神が介入した、と思わざるを得ない。
ユダはユダヤの宗教裁判とローマの政治的裁判の間に自殺した。彼はローマの裁判で証人として立つ予定だったのに自殺してしまったため、裁判がもたついた。また、ユダは「イエスが罪に定められたのを知って後悔し(マタイ27:3)」と書かれているが、この「後悔し」の原語はギリシア語で「メタメロマイ」で、いわゆる「罪の悔い改め」の意味は含まれていない。だから、ユダは救いを得ていないと言える。
このユダに関する解説もまた非常に面白かった。ユダの役回りがよくわかった。