【感想】30日でわかる聖書 マタイの福音書(25)

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 今回のメッセージはここで聞けます(2008年4月7日)→

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 今回はマタイの福音書24:36~25:46までです。

ここまでの文脈

 マタイの福音書第24章、25章はオリーブ山の説教。第26章からはいよいよ、イエスは十字架へと向かわれる。

 マタイ24:36~25:46で語られるたとえ話は、携挙とイエスの再臨について説明している。直前のマタイ24:35までは、終末時代と大患難時代とに関する預言だったので、その文脈で読むことが必要。

 マタイ24:36~42は携挙についてのたとえ話。マタイ24:36の冒頭に「ただし」とあるのは、ギリシア語の「ペリ・デ」という語で、別の話題に話が変わる時に使われる接続詞である。

今回のメッセージを要約すると

  • マタイ24:43~44及びマタイ24:45~51のたとえ話は、携挙や再臨に向けての心構えを教えている。
  • マタイ25:1~13及びマタイ25:14~30のたとえ話は、大患難時代のあとに起きるイエスの再臨の際に、異邦人がどのように裁かれるかを教えている。
  • マタイ25:31~は、たとえ話の解説であり、再臨の際に異邦人を裁く基準は、信仰の有無によることを教えている。

感想・気づき

 文脈で考えると、今回のたとえ話は当然に終末論に関係することだとわかる。しかし、教会でこのたとえ話だけを朗読して、その直前の文脈がわからないままメッセージをされると、いろいろなことを勘違いしてしまう。実際、過去に教会で聞いたメッセージでは勘違いさせられてきたと思う。そうわかって読むと、とても理解しやすいと感じた。

 

 マタイ25:1~13の花婿を待つ10人の娘のたとえ話の解説は非常に面白かった。特に、当時のユダヤ人の結婚の風習を知らいないと、この例えは解釈できないという点は驚きだった。

 当時のユダヤ式結婚式には4つの段階があった。
 まず、両親同士が婚約を交わす(子どもがまだ幼い時に婚約することが多かった)。この婚約は結婚式の遅くても1年前には行われていた。
 そして、相当の時間が経ってから、結婚式の準備が整うと、花婿は花嫁を迎えに行き自分の住む町に連れ帰る。花嫁は花婿の住む町とは違う町に住んでいることが多かったので、迎えに行くには日数が必要だった。そして、結婚式に関わる諸々の手伝いをする10人の娘たちが、花嫁を連れ帰ってくる花婿を町はずれで待つことが慣例になっていた。
 花婿が花嫁を連れ帰ると、結婚式が親族だけで少人数で行われた。
 式が終わると婚宴が開かれ、これは多くの人が招待され、大人数で行われた。この婚宴は7日間続くのが一般的であった。

 以上の習慣を踏まえると、教会はキリストの花嫁として例えられるので、花婿であるイエスが花嫁である教会を迎えに行くのは「携挙」に相当する。そして、花婿が自分の町に帰ってくるのは、「再臨」に相当する。
 ここで、町はずれで待っている10人の娘たちは、「再臨」の時に生きている大患難時代の異邦人であり、油の有無は信仰の有無である。ユダヤ人の民族的救いが「再臨」の条件なので(マタイ23:39)、この時点でユダヤ人は全員信仰を持っていると考えられるため、信仰の有無が問われるのは異邦人に限られるからだ。

 

 マタイの福音書第25章で教えられている、異邦人の裁きは非常に恐ろしい。しかし、患難期前携挙説に立つと、この裁きにクリスチャンが会うことはないので、その点は正直ホッとした。しかし、ホッとしていないで伝道しなさいよ、ということなのだろうな。