【感想】30日でわかる聖書 マタイの福音書(22)

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 今回のメッセージはここで聞けます(2008年3月17日)→

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 今回はマタイの福音書22:1~22:40までです。

ここまでの文脈

 マタイの福音書第21章以降はイエスの公生涯の最後の1週間であり、「過越の祭り」の期間にあたる。「過越の祭り」は出エジプトを記念する祭りで、吟味され傷がないと認定された子羊をほふる。イエス神の子羊としてエルサレムに入場し、吟味され、十字架でほふられる。

 出エジプト12:3~7によると、子羊はニサンの月の10日により分けられ、14日まで吟味されて、15日にほふると定められている。イエスはニサンの月の10日に入場し、14日まで、様々なグループから吟味される。

今回のメッセージを要約すると

  • サンヘドリンの代表者からの質問に対して、例え話で(第21章の続き)バプテスマのヨハネの登場以降のユダヤ人の運命を預言する。
  • パリサイ人とヘロデ党からの質問に対して、神の権威と地上の権威(政府)との2つの権威共に従うべきだと答える。
  • サドカイ人の質問に対して、アブラハム契約そのものが復活を保証していることを答える。
  • パリサイ人の質問に対して、旧約聖書全体は「神への愛」と「隣人愛」とに要約されると答える。

感想・気づき

 今回の第22章はユダヤ的要素が満載で、当時の文化や宗教理解がないととても理解できない。

 パリサイ人とヘロデ党の質問は、どう答えても批判されるものだった。イエスと答えるとカイザルを王と認め、イスラエルの神の権威を否定することになり、民衆の怒りを買う。ノーと答えると、反逆罪でローマの官憲に逮捕され、処刑される可能性がある。しかし、イエスはどちらの権威にも従うようにと答えた。

 サドカイ人はモーセ五書(トーラー)にしか宗教的権威を認めず、復活を信じていなかった。イエスは「わたしは・・・アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神(出エジプト3:6)」と引用し、「アブラハム、イサク、ヤコブと神が契約した条項はまだ履行されていないので、将来神がこの3人を復活させて契約を全て履行するはずだ。」という論理でサドカイ人を黙らせてします。この論理展開はアクロバティックで凄い。

 この2つ以外も色々と当時の文化・風習を知らなければわからないことがたくさんあり、情報量が大変なことになっている。

 

 結婚披露宴の解説を聞いていると、イエスの12弟子が患難時代のユダヤ人を信仰に導くことになるが、どういうことだろうか。患難時代は黙示録の時代でまだ将来の出来事のはずだが、そこのところがわからなかった。

 また、紀元1世紀のユダヤの文化では、結婚式できる礼服は式の主人が入口に用意して、招かれた人はそれを着ていた、というのも面白かった。礼服を自分で持っている必要はなくて、それでも礼服を着ないで披露宴に参加した人が外につまみ出されたのだ。そう考えるとこの例え話の印象もだいぶ変わってくる。