ヨハネは三十にして立つ:【感想】ルカの福音書(13)ヨハネの奉仕の始まり3:1~6

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 今回はルカの福音書3:1~6までです。

ここまでの文脈

 イエスはナザレで子ども時代を過ごし、12歳でエルサレムを訪問した。その後、公生涯が始まるまでは、ナザレで両親に仕えて生活していた。

 イエスの公生涯は、バプテスマのヨハネの登場から始まる。

今回の聖書箇所を要約すると

感想・気づき

 ルカの福音書3:1では、7人の支配者、大祭司を挙げ、ヨハネの活動の開始年代を特定している。ローマ皇帝ティベリウスの治世の第15年ということは、恐らく紀元26年にあたる。紀元11年から2年間、ティベリウスアウグストゥスとは共同統治を行ったため、この期間をどうカウントするかで変わってくるようだ。

 ポンティオ・ピラトは5代目のユダヤ総督で紀元26〜36年の間にその任に就いていた。元々、ポンティオ・ピラトは実在するのかどうか疑問が持たれていたが、1961年にイスラエルのカイサリアで彼の名を刻んだ記念碑が発掘され、以後、彼の実在を疑う者はいない。また、彼はユダヤ人に対して非常に敵対的であることで知られていた。

 ここで出てくるヘロデは、ヘロデ大王の息子のヘロデ・アンティパスのことで、彼は紀元前4年〜紀元36年までガリラヤの領主(国主)だった。領主(国主)は、王よりも低い地位で、彼はティベリアからガリラヤ地方を統治した。このヘロデがバプテスマのヨハネを投獄する人物である。

 アンナスは元大祭司(紀元6〜15年)で、ローマに退任させられていた。カヤパはアンナスの義理の息子で大祭司となっていた(紀元18〜36年)。大祭司は終身職だったので、退任したアンナスも大祭司という称号で呼ばれていた。また、カヤパが現職ではあったものの、実権はアンナスが握ったままであった。

 ルカは年代を特定すると共に、当時の非常に複雑な政治的状況をこの1節で説明している。イエスの公生涯はこの政治的文脈の中にあって始まるのだ。

 

 また、ティベリアという町は、ヘロデ・アンティパスが皇帝ティベリウスに、紀元20年に献上した町である。この町は墓地の上に建てられたので、儀式的汚れを恐れたユダヤ人はこの町には住まなかった。だから、イエスは異邦人のこの町に訪れたという記録はない。

 しかし、バル・コクバの乱(132〜135年)以降、ユダヤ議会・サンヘドリンがこの町に移され、その際、ラビ・シメオン・バル・ヨカイによってこの町は清められた。その結果ユダヤ人が住むようになり、これ以降数世紀に渡りユダヤ教神学の中心地となる。エルサレム・タルムードと旧約聖書のマソラ本文は、この時期のティベリアで確定された。

 これらの内容は聖書のメッセージというよりも、ほぼ歴史の授業のようなものだけど、非常に面白い。当時の時代背景がなんとなく浮かび上がってくるので、ルカの福音書を読むに当たっては重要な情報だと思う。

 

 ヨハネは、公の活動をおよそ30歳から開始した。旧約聖書の時代、祭司は30歳から奉仕を始めるのが一般的だった。そして、祭司ザカリヤの子ヨハネもまた、30歳で活動を開始したという訳だ。

 30歳という年齢が中々面白い。現代でも大学に入って、修士、博士と進むと30歳前後になるだろう。何かを学んでそれを専門にしようとすると、そのぐらいは時間がかかるということなのだろうか。紀元前後であれが、今よりも平均寿命も短かったであろうが、それでもやはり高度な知的専門職である祭司は30歳から仕事を始めていたのだ。

 脳の神経細胞の組成も30歳前後になると、それまでとは変化し、色々なことに落ち着いて見通しを立てたり、考えたりすることができるようになるという話も、脳科学関係の一般書で読んだことがある。このことを考えても、20代の間は大学に限らず、各人の興味のあることに没頭し、本格的に自分の歩むべき道を見つけるのは30歳前後というのがいいのかもしれないなと思った。そういえば、論語孔子も「吾、十有五にして学に志す、三十にして立つ」と言ってたな。これだな。