【感想】30日でわかる聖書 マタイの福音書(15)

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 今回のメッセージはここで聞けます(2008年1月21日)→

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 今回はマタイの福音書第15章です。

ここまでの文脈

 ユダヤ人の指導者達が「赦されない罪」を犯して以降、イエスの公生涯は後半に入り、群衆に福音を伝えることから、弟子訓練に活動の重点を移した。イエスは例え話で教えるようになり、真理を群衆には隠すようになる。

今回のメッセージを要約すると

  • エスは再びパリサイ人と律法論争を繰り広げ、モーセの律法は守るべき神のことばだが、パリサイ人の口伝律法は神の御心に反する人間の教えに過ぎないと断じる。
  • その後、イエスは異邦人の地に移動して弟子訓練を行い、異邦人も救われるようになることと、弟子達は異邦人の牧者にもなることを教える。
  • エスの十字架の死のあとは、救いがユダヤ人だけでなく異邦人へも広がるが、この章はユダヤ人の地と異邦人の地での出来事を対比させて、そのことを暗示している。

感想・気づき

 マタイの福音書第15章前半に出てくる口伝律法の「コルバン規定」が勉強になった。この規定は、パリサイ派に改宗したユダヤ人が、親に対する経済的援助を断るための方便のような「言い伝え」(=口伝律法)で、自分のある財産について「これはコルバンである」と宣言すると、神殿に寄進するか、自分のために使うかのどちらかにしか使うことができなくなるというもの。モーセ十戒の第5戎にある「両親を敬え」という規定は経済的援助も含まれていると解釈されていたが、それを避けるための口伝律法だ。
 この規定の説明は新・旧約聖書にも書いていないので、聖書を理解するにはタルムードの知識も必要になる。イエスは徹底的に行き過ぎた口伝律法を批判したのであって、モーセの律法は完全に守った。そのことを理解するには、論争の内容が口伝律法なのかどうかがわからないと、イエスが何を問題にしているのかが見えてこない。
 そして、マタイ15:13で「わたしの天の父がお植えにならなかった木は、みな根こそぎにされます」という例え話が口伝律法のことを言っているという解説も、非常に文脈がスムーズにつながっていくので、納得しかない。

 

 ここで、公生涯の後半のイエスの教授法のパターンも面白かった。①群衆に例え話で教える、②群衆は理解できない、③弟子たちも理解できない、④ペテロが代表として質問をする、⑤イエスが例え話を解き明かす、というパターンだ。イエスは真理をユダヤ人の群衆からは隠して、弟子たちにのみ教え、使徒行伝の時代に向けて弟子たちを訓練している。

 

 マタイ第15章の前半がパリサイ人との論争でさらにイエスが拒否され、後半で異邦人から救いを求められイエスが祝福を与えるという対比が非常に明快で絵画的だ。同じような話がただ何度も出てきているのではなく、計算されて話が組み立てられている。また、この対比がそのまま現代のユダヤ教キリスト教との対比ともなっているというのも興味深い。
 デカポリスでの4千人のパンの奇跡が異邦人に対する祝福であって、ユダヤ人に対する祝福であったマタイ第14章の5千人のパンの奇跡とは性質が違うこと、また、このデカポリスではマタイ第8章でイエスにレギオンという悪霊を追い出してもらった男たちがすでにイエスの事を言い広めていたという伏線があるというのも驚きだった。ユダヤ人も異邦人も救いの道は同じで、それはメシアであるイエスを信じることだ、ということをこの章は示している。